わたしにしたのです

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.02.03
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 25章40節
放送日
2021.02.03

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はマタイの福音書25章40節から「わたしにしたのです」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」
 昨日もお話ししたことですが、人はいつしか、神の前に立たせられる時がきます。今日はその続きで、人はそれまでどのような生き方をしたらよいのか、たとえ話で教えられていますね。
 まず、花婿を迎える十人の娘のお話、つまり賢い五人の娘と愚かな五人の娘のお話は、まさに、終末に備えるべきことを語っています。「備えあれば憂いなし」ではありませんが、備える心をもった者と、そうでない者との差は、突然その日が来た時に明らかになるというわけです。
 次のタラントのたとえ、また、羊とやぎのたとえは、具体的にどのように備えるべきかを語っています。まずタラントのたとえは、神が私たちに与えてくださっているものを、十分活かすべきことを教えています。「いや私は、人に比べたら、あまり能力もないと思うし、十分活かしなさいと言ってもなぁ」と思う方もいるかもしれませんね。
 しかし、神が与えて下さっているものは、何か優れた才能だけではなくて、時間やお金、そして身体もみなそうなのです。やがて、神にお会いするその時、私たちは神に与えられたものを、どのように用いたのか説明を求められますね。
 また、やぎと羊のたとえは、与えられている賜物は、実は大それたものではなくて、ほんの小さなことであることに注意を向けています。たとえば、愛の心をもって人に関心を向けること、気遣いしたり、声をかけたりすることもそうなのです。しかも、神に「よくやった」と褒められて、いつそんなことをしたのだろうかと、自分でも些細なことと思うようなことであったりするのです。
 イエスは、「あなたがたが、最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」と語っています。小さな日常を大切に過ごしながら、終末に備えてまいりたいものですね。

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