過ぎ越しの意味と神の裁き

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.01.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 12章27,29節
放送日
2021.01.26

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 「世の光」の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。火曜日と水曜日は、旧約聖書のモーセの生涯から学びましょう。
 あなたは、自分の子どもたちや次の世代に、何を一番伝えたいでしょうか。神の民イスラエルには三つの祭りがあり、最も重要なのは「過越の祭」でした。それは、エジプトで奴隷状態であった神の民を、神がモーセというリーダーを立てて導き、苦難から助け出した事実に基づいており、子どもたちに、神の恵みと守りを伝える祭りでした。
 祭りの意味を子どもたちが尋ねた時、次のように答えなさいと聖書は語ります。「それは主の過越のいけにえだ。主がエジプトを打たれたとき、主はエジプトにいたイスラエルの子らの家を過ぎ越して、私たちの家々を救ってくださったのだ。」旧約聖書 出エジプト記12章27節
 自分たちが助け出された、神の恵みと守りを感謝し、次の世代に伝えること、それが「過越の祭」の意味でした。モーセが語る、神の言葉に信頼し、命令どおりに家の門柱とかもいに、子羊の血を塗った家庭は、神の裁きが過ぎ越して、長男の命が守られたのです。
 神に信頼せず、その準備をしなかったエジプトの家庭に起こったことを、聖書はこう語ります。「真夜中になったとき、主はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。」出エジプト記12章29節
 長男の命を失うということは、想像を絶する悲しみでした。この神の裁きを受けなければならないほど、エジプトの王と民は、まことの神に背き、警告を無視し続けたのです。エジプトは神に裁かれ、ついに神の民は、エジプトでの奴隷状態から解放され、約束の地、イスラエルに向かうことになったのです。
 それから千数百年年後の「過越の祭」のときに、神の御子キリストは十字架につけられました。罪のない神の子羊であるキリストが、私たちの身代わりに血を流し、私たちの罪の裁きを完全に受けた十字架による救いは、真の過ぎ越しを意味していたのです。この過ぎ越しの真の意味は、あなたへの神様の愛のあらわれであり、あなたの罪の赦しの道なのです。あなたも神に感謝して、歩みを進めていきませんか。

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