クリスチャン小説家 大原富枝

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2020.11.28
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ペテロの手紙第一 2章
放送日
2020.11.28

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 世の光の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。私の担当の土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は小説家、大原富枝について学んでみましょう。
 大原富枝は、大正元年、高知県本山町に生まれました。小学校の校長であった父の教育の中で育ち、10歳で母の死を経験した富枝は、そのころから、心を言葉で表現することの豊かさを知ります。
 15歳で、高知女子師範で学び始めますが、18歳の時に結核を患い、長い療養生活を送ります。時代は戦争の只中でした。苦しい生活と療養で、幽閉にも近い生活を余儀なくされます。さらに、家族や友人の死を次々に経験する中、なんとしても生き抜き、小説家になることを決意します。
 戦争の終わる前に東京に出て、本格的に作家活動に取り組みます。自らが通ってきた、さまざまな悲しみをも言葉として綴り、代表作「婉という女」が生まれます。題材は、土佐の山内忠義の家老、野中兼山の娘、婉の生涯を描いたものです。兼山は手腕を発揮しますが、弾劾を受け失脚し亡くなります。子どもたちの中、唯一生き残った娘が婉でしたが、約40年間の幽閉を経験したのです。
 富枝は、自らの悲しみの歩みも、この野中婉に重ねたのでしょう。多くの人々の悲しみをも描き続けた富枝でしたが、64歳の時に、聖書が語る神さまと出会い、キリストを信じ洗礼を受けます。ギリシャやイスラエルをも訪ね、「エルサレムの夜」「アブラハムの幕屋」を出版します。人々の人生の中にある痛みを描きつつも、そこに示された恵みをもあらわし、人々に届けていったのですね。
 晩年も多くの作品を、世に届けていった富枝の文学館は、彼女の故郷、高知県本山町に建てられます。多くの悲しみを通った富枝の人生は、キリストの十字架から注がれるなぐさめによって、支えられていたのかもしれませんね。
 聖書の言葉「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。」新約聖書ペテロ第一の手紙 2章24節、25節

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