宮きよめとキリストの権威

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.11.27
カテゴリ
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 11章15,17節
放送日
2020.11.27

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 世の光の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。金曜日の今日は、昨日に引き続きマルコの福音書から学びましょう。今日は「宮きよめとキリストの権威」です。
 実を結んでいないイチジクの木をさばかれた後、キリストが向かったのは、神殿、いわゆる宮でした。そこは神への賛美や礼拝、祈りが献げられるべき場所でした。しかしキリストが見たのは、人々が欲望のままに叫び、モノを売り買いする場面だったのです。
 確かに神を礼拝するために、お金をユダヤの貨幣に両替したり、礼拝のための規定にそって整えられた動物を、そこで購入する必要がありました。しかし人々は、礼拝と祈りの場所を商売の道具として用い、お金を儲ける場所にしていたのです。
 その実情を目の当たりにされたキリストについて、聖書はこう語っています。「イエスは宮に入り、その中で売り買いしている者たちを追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒され、宮を通って物を運ぶことを、だれにもお許しにならなかった。」新約聖書 マルコの福音書11章15節
 そしてキリストは、こう叫びました。「『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしてしまった。」」マルコの福音書11章17節
 キリストの言動は、人々を驚かせました。しかしそれは、神の民自身が神の前になすべき正しい行動でした。それらが示されたなら、人々は神の前に自分たちの罪を悔い改めるべきだったのです。
 ところが、祭司長たちや律法学者たちはこのキリストの言葉を聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めたのです。それは群衆がみな、キリストの正しく権威ある教えに驚嘆していたからでした。彼らは、キリストの影響力を恐れ妬んだのです。彼らの姿は、あのさばかれたイチジクの木に象徴されていました。弟子たちが後でそこを通ると、その木は、根元から枯れていたからです。
 キリストは本来、神の宮であるべき私たちの心をも清められます。私たちの心の中にも、キリストの権威を持って追い出していただくべき欲望や、自己中心的な罪はないでしょうか。私たちも悔い改めの実を結び、まことの祝福の中を歩ませていただきたいと願います。神様は、あなたを愛し、あなたをも悔い改めへと招いて下さっているのです。

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