信じるということ 5-私の主、私の神

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • イースター

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アップロード日
2020.04.30
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.04.30

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。今月は、 イエス・キリストの復活されたイースターを過ごしています。
ヨハネ福音書には、イエス・キリストの復活を信じないというトマスという 人が出てきます。トマスの前にイエス様が現れた時、トマスは言います。「私の 主、私の神。」
「私の」という言葉は、愛の言葉です。「夫」というのと、「私の夫」という のは響きが違います。「子ども」ではなく「私の子ども」というと愛の響きが伴 います。神を信じるということの中心にあるのは愛です。
私たちの信じる神様は、宇宙概念でも道徳的な心理でもない、人となられた 神です。そしてこの神様は、「私の」という、人格的で、個人的な関係を私たち と持つことを求めておられます。神様は今朝も「あなたはわたしの愛する子、 あなたはわたしのもの」と個人的に語りかけて来られるのです。
トマスは八日間、悩みながらこの神様の愛に「私の主、私の神」と答えまし た。信仰を持ってからも疑うことは何度もあります。しかし、愛は疑いを覆う のです。愛は、疑っても悩んでも、信じることをやめない根拠があります。そ れは、「私の罪のために十字架にかかられた愛」です。私が自分で自分のこの罪 をどうすることもできませんでした。しかしイエス様は十字架にかかり、私の 罪を解決して下さったのです。この十字架の愛を思うときに、疑いは信仰を持 たないだけの理由にはなりません。
この愛を知ったとき、みんなが信じているからという、「みんなの神」ではな く、「私の神」となるのです。頭で理解できた結果ではなく、「私の」という個 人的な関係が生まれ、他の誰が信じなくても私は信じるという告白になります。 そしてこの神を知るために、この神に出会うために必要なのは、こちらも愛そ うとしてみることです。愛は相互の関係です。愛は一方的な関係ではわかりま せん。
神を愛そうとする一歩目、それは祈りです。「神様、あなたはいるんですか」 と、問いかけていただきたいと思います。神様との愛の対話を始めるのです。 なぜならキリスト教は、愛の信仰、祈りの信仰だからです。やがて、あなたは 必ず、あなたの心の扉の前に立っておられるイエス様と出会い、いつの日か、「私 の主、私の神」という信仰告白が生まれていきます。

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