喜びの方法~喜びなさい
- 出演者
- 水谷 潔
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2024.06.19
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ピリピ人への手紙 4章4節
- 放送日
- 2024.06.19
「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります、春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
喜びについて、新約聖書ピリピ人への手紙4章4節は、こう記しています。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」。このことばを聞いて、「喜びとは『喜びなさい』と言われて喜ぶものではないでしょう。喜びっていうのは、自然と心の中に湧き起こるものでしょう」そう思う方もきっといらっしゃるでしょう。
一般的な意味での喜びは、喜ばしい出来事や状況があって、その反応として起こる感情です。しかし、聖書によれば、イエス・キリストを信じる者に与えられる喜びは、それとは異なります。
何かへの反応として起こる感情ではなく、自分から主体的に自らの意志で、喜ぶのです。「喜びなさい」と言われて、「喜ぼう」と決めて、喜びの供給源であるイエス様につながることで、いつでも喜べる喜びなのです。
たとえば、寒い冬に部屋を暖かくしておきなさいと言われたら、暖房のスイッチを入れて、そのままにしておけば温かくできます。部屋を明るくしておきなさいと言われたら、照明器具のスイッチをオンにすれば、部屋を明るいままにしておくことができます。そのように、喜びなさいと言われて、スイッチを入れて、イエス様に心を向けるならば、イエス様の愛を思い感謝するなら、絶えることなく、喜びが心に注がれてくるのです。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」。聖書は念を押すように「もう一度言います。喜びなさい」と繰り返しています。この手紙を書いたのは、キリスト教の伝道者パウロですが、彼は、牢獄の中でこの手紙を書きました。そして、この手紙の宛先であるピリピの教会の人たちも、厳しい試練と苦しみの中にありました。
ですから、パウロは、喜ぶことが困難な時にこそ、イエス様を信じる者に与えられている独自の喜びをもって、喜ぶようにと進めているのです。聖書が記す喜びは、「喜ぶことが困難な中にあっても、喜ぼうと思えば喜べる喜び」です。「いつでもどこでも、喜べる喜び」を神様は与えてくださいます。ラジオの前のあなたも、イエス様を信じてこの喜びの中を歩みませんか。
喜びについて、新約聖書ピリピ人への手紙4章4節は、こう記しています。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」。このことばを聞いて、「喜びとは『喜びなさい』と言われて喜ぶものではないでしょう。喜びっていうのは、自然と心の中に湧き起こるものでしょう」そう思う方もきっといらっしゃるでしょう。
一般的な意味での喜びは、喜ばしい出来事や状況があって、その反応として起こる感情です。しかし、聖書によれば、イエス・キリストを信じる者に与えられる喜びは、それとは異なります。
何かへの反応として起こる感情ではなく、自分から主体的に自らの意志で、喜ぶのです。「喜びなさい」と言われて、「喜ぼう」と決めて、喜びの供給源であるイエス様につながることで、いつでも喜べる喜びなのです。
たとえば、寒い冬に部屋を暖かくしておきなさいと言われたら、暖房のスイッチを入れて、そのままにしておけば温かくできます。部屋を明るくしておきなさいと言われたら、照明器具のスイッチをオンにすれば、部屋を明るいままにしておくことができます。そのように、喜びなさいと言われて、スイッチを入れて、イエス様に心を向けるならば、イエス様の愛を思い感謝するなら、絶えることなく、喜びが心に注がれてくるのです。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」。聖書は念を押すように「もう一度言います。喜びなさい」と繰り返しています。この手紙を書いたのは、キリスト教の伝道者パウロですが、彼は、牢獄の中でこの手紙を書きました。そして、この手紙の宛先であるピリピの教会の人たちも、厳しい試練と苦しみの中にありました。
ですから、パウロは、喜ぶことが困難な時にこそ、イエス様を信じる者に与えられている独自の喜びをもって、喜ぶようにと進めているのです。聖書が記す喜びは、「喜ぶことが困難な中にあっても、喜ぼうと思えば喜べる喜び」です。「いつでもどこでも、喜べる喜び」を神様は与えてくださいます。ラジオの前のあなたも、イエス様を信じてこの喜びの中を歩みませんか。
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