小さな存在を支え続けた 大原孫三郎 1

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.03.23
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.03.23

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「世の光」の時間です。お元気ですか、岩井基雄です。第四月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャ ンの生涯から学んでいますが、今日は「小さな存在を支え続けた 大原孫三郎」について学んでみ ましょう。 明治13年、岡山県の倉敷市の大地主で、倉敷紡績を営む大原家の三男として生まれた孫三郎、 二人の兄が相次いで夭折(ようせつ)したため、孫三郎が嫡子となります。東京専門学校(後の 早稲田大学)に入学しますが、そこで放蕩三昧の生活を送り、莫大な借金を抱えてしまい、倉敷 に連れ戻されるのです。その借金の後始末を任されたのが、孫三郎の姉の婿でしたが、その義理 の兄が心労で急逝してしまい、孫三郎は自分の愚かさを深く悔いるのでした。 そのような時期に知り合った人物こそ、「日本児童福祉の父」と呼ばれた、岡山孤児院の創立 者クリスチャンの石井十次でした。医学の道を捨てて、日本初の孤児院を設立した石井十次と孫 三郎は、生涯無二の親友となります。そして石井十次の影響で聖書を読み始めた孫三郎は、自分 の罪深さを神の前に悔い改め、自分の罪のためにキリストが十字架に架かられたことを信じ、洗 礼を受けクリスチャンになります。そして孫三郎は、石井十次が行う孤児院の働きを力強く支援し 始めるのです。 明治39年、感染病で社員数名を死亡させた責任をとった父の後、孫三郎は、倉敷紡績の社長と なります。そして就任と同時に、工員の労働環境の改善を図ったのです。既に行員の教育を支援し、 学びたくても資金がない地元の子弟のために、大原奨学会をも開設した孫三郎は、居住環境も医 療も託児までも備え、弱い存在を心から大切にしたのです。また会社の利益のほとんどを、日露 戦争などで増えた孤児を救うために使い、孤児院を支援しました。 利益主義の重役や株主はこれらの改革に大反対しますが、孫三郎はこう答えたのです。「ワシ の目は十年先が見える」と。そしてこの言葉で押し切り、キリストにある愛の業、小さな存在を 慈しむ業を断行したのです。 聖書の言葉「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、 それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

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