試練は希望へ導く入り口

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.03.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] コリント人への手紙第一 10章13節
[新約聖書] ローマ人への手紙 8章28節
放送日
2020.03.20

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。 私たちは誰もが、三つの終末の中に生きています。それは世界の終末、自分の命の終末、自分 以外の人々の命の終末、この三つの終末の中に生きているわけですね。 イエス様が弟子たちに、この世界の終りに現れる、様々な前兆についてお語りになりました。 そういう話を聞くと、「私たちはそれじゃあ世の終りはいつ来るのだろう。はっきり知りたい なぁ。」とこう思うわけですね。 ところがイエス様は、こう仰いました。「ただし、その日、その時がいつなのかは、誰も知り ません。天の御使いも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」このように言われた のです。 神の御子であるイエス様でさえ、明確な日付を知らないと言うのですね。ただ、ここで「子も 知らない」ということばは、 イエス様が無知であるということを意味しているのではないんです。ここで記されている「知る」 という言葉は、知識という意味のほかに、関心とか興味という意味もあります。つまりイエス様 が「子も知らない」と言われたのは、私はこの世の終りがいつなのかについて知ろうと思わない し、興味もないし、教える気もないという意味が含まれているのです。 使徒の働きの1章というところを読むと、弟子たちが復活されたイエス様にこう質問しました。 「主よ。今こそイスラエルのために国を再興してくださるのですか。」これは世の終りに神の国 を完成してくださるのはいつですかというような意味の質問でした。 するとイエス様は、「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたは知らなくても良いの です。」と言われたのです。弟子たちは、その日その時を知りたかったんですが、イエス様は、「そ れはあなた方が知らなくてもいい」と言われたんですね。 ですから、イエス様が私たちに教えようと思われないことを私たちが勝手に詮索することは、終 末に生きる私たちの姿としてはふさわしいものではありません。 ですから、キリストが何月何日に来るとかですね、世の終わりは何年何月何日に来るのだとか、 「私こそキリストの再来だ」というような者が現れたら、この人たちの言葉は、イエス様の心を まったく無視しているものだと考えたらいいのです。100%即座に拒否したらいいんですね。 イエス様は、信じる一人ひとりとともにいて下さいます。私たちは世の終りがいつなのか知る 必要がありません。なぜなら、ともにいてくださるイエス様と歩んでいくことができるからです。

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