祝福を命じられた

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

もっと詳しく見る

アップロード日
2020.02.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 133篇3節
放送日
2020.02.26

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。詩篇133篇3節から、「祝福を命じられた」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「主がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」
 この詩は、エルサレム巡礼の旅にあった人々が、ようやくエルサレムに到着し、みなが集まったときの楽しさ、親しさ、心地よさを歌ったものといわれています。イスラエルには、毎年エルサレムで盛大な祭りをする風習がありました。当時の旅は、徒歩の長旅で、旅の途上多くの巡礼者と合流し、その道すがら都上りの歌を歌ったとされています。ゆったりとした当時の風景がイメージさせられるところですね。彼らは道すがら歌を歌い、神の力によって助け出され、また神の力によって乗り越えた、数々の歴史的な出来事を思い出し、その信仰を分かち合ったのです。
 エルサレムに到着するころには、すっかり旅仲間と打ち解け、「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは。」と、まるで身内のような親しさと、喜びの感覚を抱くことがあったわけです。
 確かに、同じ神を信じ、愛し、その神に仕える者たちが、相集まりながら時をともにすることはすばらしい経験でしょうね。そこには、うらやましい限りの親しさ、心安さ、近しさがあったことでしょう。ただ、この詩において注目すべきは、それは、神が祝福を命じられたからこそ経験されるものなのだと、詩人がまとめていることです。
 しばしば人は、理想郷を求めます。しかし、自己中心な人間がいくら集まりあっても、決して理想郷などできないと冷めた思いをもっておられる方も多いはずです。この詩篇の詩人も同感であったのでしょう。彼は、神がそこに祝福を命じられるときに、初めて人間の計画と思いを超えた、親しさ、心安さの世界が生じるのだと語っているのです。
 人間の力ではなく、神の力で生み出される親しい世界があります。神がそこに祝福を命じられたという、キリストの教会に、ぜひあなたも加えられていただきたいと思います。では良き一週を祈ります。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ