汚れと聖別

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.02.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] レビ記 22章
放送日
2020.02.22

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「世の光」の時間です。おはようございます。羽鳥頼和です。
 聖書には、「汚れたもの」のことが教えられています。よく知られているのが豚です。それでユダヤ人は豚を家畜として飼うことも食べることもしません。
 汚れとは何なのでしょうか。まず国語辞典で調べてみました。汚れとは一般的なこととして、「汚くなること」、「汚れること」、「不潔」ということであり、道徳的には、「悪い習慣に染まること」、「俗にまみれること」であり、そして宗教的なこととして、「神の前に出ることをはばかること」とありました。
 それでは聖書に出てくる「汚れ」とは、どのようなものでしょうか。聖書では、主に宗教的なこととして「汚れ」という言葉が使われています。旧約聖書のレビ記を読むと、神が、まずきよいお方、聖なるお方であることから、汚れということが生じることが分かります。何がきよく聖なるもので、何が汚れているのかは、神が定められることだったのです。
 宗教儀式を司る祭司の規定について語られているレビ記22章では、神は、「イスラエルの子らの聖なるものは慎重に扱え。わたしの聖なる名を汚してはならない。それは彼らがわたしのために聖別したものである。」といわれています。
 祭司は聖所の勤めに携わるために、きよめ分かたれていました。しかし、汚れることがありました。神はツァラアトという病気になった時や、性器からの漏出があるとき、死体に触れてしまったときに、その人は汚れると言われました。その祭司は儀式に携わって、ささげ物や聖なるものを汚さないように、それに触れてはならないと命じられたのです。汚れたものは神のために働くことはできなかったのです。
 しかし神は、汚れたものをすぐに排除してしまうようなお方ではありません。神は、「わたしは彼らを聖別する主である」と言っておられます。神は汚れたものをきよめられるお方です。神はわたしたちをもきよめて下さいます。神はイエス・キリストの十字架によって人をきよめ、神を礼拝する者として下さるのです。
 明日は日曜日です。神を礼拝するためにお近くのキリスト教会にいらして下さい。

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