固執しないで生きる

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.02.21
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.02.21

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 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
 イエス様が、エルサレムにある神殿の中の外庭に座っている時でした。その近くには献金箱がありました。そこに貧しいやもめがやってきて、当時の貨幣の最小単位である、レプタ銅貨二つを投げ入れたのです。彼女の姿の中には、すべてを神様に委ねて生きるという姿がありました。そして、固執しないで生きる姿がそこにはあったのです。
 「委ねる」というのは、これは、「手を離す」ということでもあるんですね。私たちはともすると、これも自分のもの、あれも自分のもの、すべてを自分が握り締めていないと気が済まないことがあります。自分の考えに固執し、こだわりすぎて、かえって不自由になってしまっている、そんなことがありますよね。
 昔、絵本でこんな話を読んだことがありました。サルを捕まえる面白い方法です。壺の中においしい食べ物を入れておくんです。するとサルは、壺に手を入れて食べ物を掴みます。掴んだままだと、壺から手が引き抜けなくなってしまうんですね。でも手を離すと、食べ物を得ることができません。食べ物を掴んだままだと手が抜けません。さあどうしようかと思案しているうちに、サルは捕まってしまうというわけですね。どうでしょう。私たちもあまりにも多くのものを握り締めていると、結局、不自由になってしまっているという現実がありませんかね。
 イエス様ご自身は、すべてを神様に委ねて歩んでおられました。本当は、イエス様は神と等しいお方であるにもかかわらず、その立場に固執しようとはなさいませんでした。自分の利益を求めず、自分の功績をひけらかすこともなく、人々に救いをもたらすために十字架でご自分の命さえ差し出されたのです。イエス様は、与え尽くす人生を歩まれました。
 しかしイエス様の周りには、自分のプライドや、立場や地位や肩書に固執する人々、自分の利益に固執して、打算で生きているような人たちがたくさんいました。身近な弟子たちでさえ、プライドが強く、自分たちの中で誰が一番偉いのかなどと競い合っているような者たちでした。
 そういう中でイエス様は、自分の人生を自分で握り締めるのをやめて、神様に委ね献げようとしている者はどこにいるのだと、周りを見渡されていたのかもしれませんね。そして、このレプタ銅貨二枚を献げた一人の女性の姿の中に、その「委ねる姿」を見たのです。

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