神の定めた「宥(なだ)めの日」

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.02.15
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.02.15

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「世の光」の時間です。おはようございます、羽鳥頼和です。
 天皇が即位をされた時、大嘗祭が行われました。大嘗祭は、宗教儀式なので国家行事ではなく、皇室の行事として行われました。大嘗祭は、人によって定められて、人によって整えられてきた宗教行事です。
 さて今日は、旧約聖書のレビ記の16章で、神が定められた「宥めの日」という宗教儀式についてお話ししたいと思います。「宥め」とは、神に罪を赦され、きよめられるために行う儀式のことです。神はその日に、以下のようなことを行うように命じられました。
 「イスラエルの暦の第七の月の十日に、イスラエルの民のすべては断食をして式に臨みなさい。この儀式を取り仕切る祭司たちは、まず自分の罪をきよめるために、罪のきよめの献げ物を献げて自分自身をきよめなさい。それから祭司はすべての人々のために、罪のきよめのささげ物を献げて、すべての民の罪をきよめなさい。それから大祭司が雄やぎ二匹を取り、一匹に手を置いて罪を告白して生きたまま荒野にそれを放つ。こうして大祭司は最後にもう一匹を罪のきよめの献げ物として屠って、その血をもって聖所の一番奥の部屋に入ることができる。」
 大祭司が、聖所の一番奥の部屋に入るのは、きよい神に会うということでした。宥めによって罪が赦されて、きよめられることによって、人は神にお会いすることができ、神を礼拝することができるのです。
 新約聖書のヘブル人への手紙では、「イエス・キリストが私たちの大祭司として、十字架でご自身を罪のきよめのささげ物として献げ、救いを成し遂げられた」と教えています。イエスが既に成し遂げて下さったので、もう罪のきよめのささげ物を献げる必要はないのです。ただ、十字架によって救いをなされたイエス・キリストを、救い主、また神の御子と信じれば、人は神の救いに入ることができるのです。
 明日は日曜日です。救い主イエス・キリストを礼拝するために、お近くのキリスト教会にいらして下さい。

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