レプタ、二つ

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.02.07
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.02.07

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 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
 イエス様が、エルサレムにある神殿の中の外庭に座っている時でした。その近くには献金箱があり、イエス様は、人々が献金箱へお金を投げ入れている様子を見ておられました。大勢の人が、献金箱にお金を投げ入れていました。中には、注目を引くためにお金の袋をジャラジャラ鳴らしながら、「俺はこんなにたくさん献金するんだぞ」といわんばかりに献金をする人も中にはいたそうなんですね。
 さてそこに、貧しいやもめがやってきまして、レプタ銅貨二つを投げ入れたのです。「レプタ」というのは、当時の貨幣の最小単位です。他の人が大金を献げているのに、自分はこれしか献げることができないという申し訳ない思いや恥ずかしさを、この女性はもしかしたら感じていたかもしれませんね。しかし、イエス様は、この貧しいやもめの姿を高く評価なさいました。そして彼女の信仰の姿は、聖書の福音書に書き残されるほどに大切な姿として紹介されているんです。
 ではイエス様が称賛されたのは、彼女のどのような姿だったのでしょう。それは、「委ねて生きる」という姿がそこにあったからです。この女性は「生活費の全部を投げ入れた」と書かれています。これを読むと、クリスチャンになったら生活費を全部、献げなければならないのかと勘違いしてしまう人がおられるかもしれません。しかしイエス様はここで、献金の額について教えておられるのではないんです。この献金にあらわされた心、信仰の姿を教えようとしておられるんですね。
 この女性は、生活費の全部を献げたと記されています。この「生活費」と訳されることばは、「生涯」とか「人生」、「生活」という意味もあるんです。つまりこの女性は、明日どうなるかわからないような、何もない生活の中にあって、自分の生涯、自分の生活そのものを、主に委ね差し出したということなんですね。「神様、私には何もありません。あなたに委ね、あなたにより頼む以外には生きていくことができないのです」という思いで献げたのですね。
 イエス様は、山上の説教の中でこう語られていました。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」神様に信頼する以外に術がないほど、神様に人生を委ね、求めていくことの幸いを、聖書は私たちに教えているんですね。

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