永遠の存在者

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき

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アップロード日
2020.01.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 3章6節
放送日
2020.01.17

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世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
 イエス様は、地上の生涯の最後の一週間をエルサレムで過ごされました。イエス様のもとに、当時のユダヤ教の一派であったサドカイ人たちが神学論争をおしかけにやってきました。
 サドカイ人たちは、復活とか死後のいのちを否定していた人たちでした。サドカイ人は、旧約聖書のモーセの五書には、どこにも復活のことなど教えていないのだから、復活などはないと主張してきたのです。
 そこでイエス様は、モーセの五書の中の出エジプト記3章6節を引用してこう言われました。「死人の復活については、神があなたがたにこう語られたのを読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」
 この引用は、昔イスラエルの民がエジプトで奴隷生活を強いられていた時、神様が彼らをエジプトから脱出させるためにモーセを選ばれた時のことでした。モーセが八十歳の時、荒野で羊の群れを追って、シナイ山まできた時、なんと燃えている柴を見つけたのです。その柴がいつまでも燃え尽きないので、不思議に思って近づいていくと、その燃える柴の中から、神様がお語りになりました。
「わたしはあなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。モーセよ、あなたはエジプトに行って、苦しんでいるわたしの民を、約束の地に導き出しなさい。」神様はモーセに、そうお命じになったんです。その時モーセは神様に、「もし、わたしがエジプトに行って、あなたのご命令を話せば、彼らはわたしを遣わされたあなたのお名前を尋ねることでしょう。そうしたら、わたしはなんと答えればいいのでしょうか。」と問いただしたのです。
 神様は、「わたしは『わたしはある』という者である。」と語られたんですね。この「わたしはある」ということの意味は、わたしはいつでも存在する永遠の存在者だ。何かを成そうと思ったら成すことができるし、何かを起こそうと思ったら起こすことのできる存在なのだと、神様は永遠の存在者であると、はっきりと語られたんです。イエス様は復活などはないと言っていたサドカイ人たちに、いや、聖書にははっきりと神様は永遠に存在するお方であり、永遠のいのちを与えることのできる方であると告げられたんですね。だから、いのちを与えることのできる神様を信じ歩んでいくのです。

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