黙って死の苦しみを受けられた主

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.12.28
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 69篇1,13節
放送日
2019.12.28

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「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今年はどんな一年だったでしょうか。今年は豪雨や台風などの災害が多くありました。被害を受けて、まだ復旧の途上にある方々もあるでしょう。今日お話しする旧約聖書の詩篇69篇は、深い悩みと苦しみの中で神に救いを求める祈りです。
「神よ 私をお救いください。水が喉にまで入って来ました。私は [主]よ あなたに祈ります。神よ みこころの時に あなたの豊かな恵みにより 御救いのまことをもって 私に答えてください。」69篇1節と13節。私も、困難の中にある方々に、神の救いがあるようにお祈りしています。
 さて、この69篇の内容はどのようなものかをお話しします。この詩篇は「ゆえなく私を憎む者は 私の髪の毛よりも多い」と語って、わけもなく人に憎まれ、わけもなく脅され嘲られて苦しむ人の祈りです。この人は悪いうわさを流されて、人々から白い目で見られています。そのうえ人々は、この人が救いを求めて必死でいる姿を見て、それを物笑いの種にしています。
 イエス・キリストは弟子たちにこの詩篇69篇を引用して、ご自分がすべての人の罪のために死なれることを話されました。イエスは何の罪も犯していないのに、神を冒涜したと訴えられ、死刑判決を受けたのです。
 私たちは言われのない非難を受けたなら、必ず反論します。何もしていないのに罪を着せられたら、冤罪だと訴えるでしょう。私たちにはその権利があります。まして、罪を犯したことのない神の御子キリストこそ、「冤罪だ、私は無実だ」と訴えることができたはずです。
 しかし、イエス・キリストは黙って苦しみを受けられました。そして死の苦しみをも受けられたのです。それはキリストを信じる者を救うためでした。キリストは私たちを罪から救い、新しい命を与えるために、十字架にかかって死んで下さったのです。私たちはこのイエス・キリストを信じることによって、新しく生きることができるのです。明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらして下さい。

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