わたしは世の光です

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • クリスマス

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アップロード日
2019.12.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 8章12節
放送日
2019.12.13

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世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。クリスマスの時期がやってきましたね。ヨハネの福音書8章12節のことばを今日は紹介しましょう。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
 イエス・キリストは、「わたしは世の光である」と言われたんですね。つまり「この世は、イエス・キリストがいなければ暗闇のままだ」という、とても大胆な宣言のことばなんです。
 聖書が教える「世」とは、一体何でしょう。それは、「神様抜きの世界」という意味なんですね。またそれは、私たち一人ひとりのことでもあるといってもよいのです。
 昔、小学生の集まりで、「もし太陽がなくなったら、どうなると思いますか」と尋ねました。する、といろんな答えが返ってきたんです。「みんな凍えて死んでしまう」とか「何も見えなくなってしまう」とか、中には「洗濯物が乾かない」と、かわいらしい答えを出した子もいました。
 光というものは、生きる上でとても大切な役割を持っています。私たちは、そうした光なくして人生を歩むことができません。実はそれは、私たちの人生の道を照らし、行くべき方向を示す光も、必ず必要だということなんですね。
 ところが、誰もが喜んで光を受け入れるかというと、そうではないように思うんです。なぜなら、光によって今まで見えなかった汚いもの、自分が見たくないもの、人に見られたくないものまでが、光によって照らし出されてしまうということがあるからです。
 冷蔵庫の裏側を、懐中電灯で照らしてみて下さい。想像できるでしょう。たんすの暗い隙間を照らして見て下さい。何が見えますか。そう、暗闇にはゴミが溜まるんですね。光に照らされるということは、「事実を突きつけられる」ということでもあるんです。自分の姿を、まざまざと見せつけられることもあるでしょう。それは時には、とても辛いことです。しかしイエス・キリストは、「わたしたちの心を照らして下さる方」として来て下さいました。すると何が見えますか。「醜い自分」や、「汚い自分」や、「高慢な自分」が見えてくるのです。本当の自分の姿を知ることになるんですね。
 しかし、自分と正直に向き合うことなしに、本当の赦しの恵みを味わうことができません。光に照らされなければ、本当の人生を歩むことができないと聖書を教えるんです。イエス・キリストは、私たちの心を照らして下さるお方です。そして、光に照らされていくなら、闇は必ず消えていくんです。

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