私の魂を贖いだす
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 死や命について考えているとき
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- アップロード日
- 2019.12.04
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 詩篇 49篇15節
- 放送日
- 2019.12.04
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は詩篇49篇15節から「私の魂を贖い出す」と題してメッセージをお伝えいたします。
「しかし 神は私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返してくださる。」
詩篇49篇は、詩篇の中でも「知恵の詩篇」と分類されるものですね。それは「伝道者の書」のように、教訓を提供しようとしています。神を信じる者だけにではない、すべての人が耳を傾ける価値ある重要なことを伝えようとしています。
詩人は言います。「人は死ぬとき 何一つ持って行くことはできず その栄誉も その人を追って下ることはない。」
何ともクールですね。どんなにあの人は勝ち組なんだと思われるような、華やかな人生を歩み、出世を讃えられるようなことがあったとしても、人は死ねば犬猫と変わりなく塵と化すだけです。何一つ、自分が手にしたものを、あの世に持っていくことはできません。人知れず苦労して積み上げてきたものも、みな泣く泣く、後の人に譲っていくのです。そんな現実があると思うと、何とも人生はむなしいものですね。
そこで詩人が語るもう一つのことばに耳を傾けてみましょう。詩人はいます。「神は私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返してくださる。」
聖書は、人間は死んだら塵と化して終わってしまうのではなくて、その先がある。この世をお造りになった神がおられて、その神が死の世界に飲み込まれた私たちを奪い返して下さると。神が私たちのいのちを拾い出し、神のもとに永遠に憩わせて下さるのだというのです。
つまり人のいのちは、この地上で終りなのではなくて、まだ続きがある。聖書はこれを知恵とせよと言っているのですね。となれば、まずその永遠のいのちをもたらして下さる神を覚えることが、今の世にあってはとても大事だということでしょう。
地上の成功も大事ですが、単純に塵に帰る死に方で終わらせない神様がおられることを知る。そこに、知恵ある生き方があります。聖書を読み、神に近づく方法を知っていただきたいと思います。では良き一週を祈ります。
「しかし 神は私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返してくださる。」
詩篇49篇は、詩篇の中でも「知恵の詩篇」と分類されるものですね。それは「伝道者の書」のように、教訓を提供しようとしています。神を信じる者だけにではない、すべての人が耳を傾ける価値ある重要なことを伝えようとしています。
詩人は言います。「人は死ぬとき 何一つ持って行くことはできず その栄誉も その人を追って下ることはない。」
何ともクールですね。どんなにあの人は勝ち組なんだと思われるような、華やかな人生を歩み、出世を讃えられるようなことがあったとしても、人は死ねば犬猫と変わりなく塵と化すだけです。何一つ、自分が手にしたものを、あの世に持っていくことはできません。人知れず苦労して積み上げてきたものも、みな泣く泣く、後の人に譲っていくのです。そんな現実があると思うと、何とも人生はむなしいものですね。
そこで詩人が語るもう一つのことばに耳を傾けてみましょう。詩人はいます。「神は私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返してくださる。」
聖書は、人間は死んだら塵と化して終わってしまうのではなくて、その先がある。この世をお造りになった神がおられて、その神が死の世界に飲み込まれた私たちを奪い返して下さると。神が私たちのいのちを拾い出し、神のもとに永遠に憩わせて下さるのだというのです。
つまり人のいのちは、この地上で終りなのではなくて、まだ続きがある。聖書はこれを知恵とせよと言っているのですね。となれば、まずその永遠のいのちをもたらして下さる神を覚えることが、今の世にあってはとても大事だということでしょう。
地上の成功も大事ですが、単純に塵に帰る死に方で終わらせない神様がおられることを知る。そこに、知恵ある生き方があります。聖書を読み、神に近づく方法を知っていただきたいと思います。では良き一週を祈ります。
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