神を待ち望め

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.11.27
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 42篇5節
放送日
2019.11.27

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。詩篇42篇5節から、「神を待ち望め」と題してメッセージをお伝えいたします。
「わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」
 この42篇より、詩篇の第二巻が始まります。詩篇が5つに分けられた根拠は明らかではなく、一般的に詩篇第一巻は、個人的なもの。第二巻と第三巻は、民族的なもの。つまり、より公的な内容を持つものとされているようですね。
 さて42篇は、一説に、イスラエルが戦争に負けて、遠い国に捕虜として連れて行かれた、神殿歌手の嘆きの歌とされています。詩人は、自分の故郷の神の家に帰りたいと切望して、この歌を歌ったというわけです。そこでまず詩人は、自分の心境を語っています。それは、谷川の流れをしたいあえぐ、乾きに陥った鹿に例えられています。おそらく作者は、長い干ばつで、動物がうつろな目をしながら死んでいく光景を思い浮かべたのでしょう。それはまさに、国破れて、もうかつての生活も、礼拝の恵みも取り戻すことのできない、詩人の絶望的な心境を語っています。神殿でいけにえを献げ、主の恵みを想起し、讃え、共に主を喜んだその時は、もはやどう転んでも取り戻すことはできない。どんなに嘆いても、その現実を変えることができない無力さに、閉じ込められているわけです。
 しかしこの現実も、神の愛の配慮から出たものと信じ受けいれるならば、その感情にいつまでも浸っていてはならない。うなだれていてはならないのでしょう。というのも、私たちを愛しておられる神が、いつまでもこの嘆きをそのままにされることはないからです。思い乱れ、気落ちする人生はそれまでです。神を信じるならば、これからの神の導きに大きく期待することです。がっかりするな。あきらめるな。この先どうなるか、神に最後まで期待しようではないか。神は賛美に導いてくださる。神を待ち望め。これからなのだというわけです。では良き一週を祈ります。

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