女性ジャーナリストの草分け 磯村春子

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.11.25
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ペテロの手紙第一 5章7節
放送日
2019.11.25

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世の光の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。第四月曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は、女性ジャーナリストの草分け、磯村春子について学んでみましょう。
 明治10年、小泉家の長女として今の福島県相馬市に生まれた春子は、小学生のころから、キリスト教会に熱心に通っていました。そして、ミッションスクールである今の宮城学院に進学し、16歳の時に罪を認め、キリストを救い主として信じ、洗礼を受けました。卒業後、約3年間、母校で教鞭をとりますが、実業家の磯村氏と結婚するため上京。そこで、現在の日本女子大学や津田塾大学でも学びを深めます。
 28歳で、今の報知新聞社に入社します。日本の女性記者第一号は、先に学んだ羽仁もと子でしたが、記者として新規採用されたのは春子が初めてでした。彼女には既に、年子の子どもが二人いましたが、ご主人の理解もあり記者を続けつつ、さらに6人の子どもが与えられたのです。一人は生まれてまもなく亡くなりますが、痛みを抱えつつ春子は、記者としての使命を果たしていくのです。
 彼女の初仕事は、得意の英語を活かし、イギリスの大使夫人へのインタビューでした。取材の仕方も十分に教えられないまま、横浜に向かった春子は、小学生の頃から続けていた神への祈りを通し、すべてを神にゆだね、使命を見事に果たしたのです。通訳を介さず、神とともにインタビューができた春子は、その後、西洋からの国賓女性たちの取材にとどまらず、諸外国との接待や交流にも、欠かすことのできない存在となっていきました。
 その背後には、神の前に整えられ続けた人格、キリスト教の文化や思想もわきまえつつ、謙遜に接する春子の姿勢がありました。この春子の生涯は、以前、NHK朝の連続テレビ小説「はね駒」でも紹介されました。
 病によって、41歳の短い人生を駆け抜けた春子でしたが、彼女が残した報道のスピリットや、子育てをしつつ精力的に働く姿勢、どんなことがあっても神様に委ねて歩む信仰の歩みは、多くの人々の励ましとなっていったのです。
 聖書のことば「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

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