主は大いなる方

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.11.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 35篇27節
放送日
2019.11.20

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。
 詩篇35篇27節から、「主は大いなる方」と題してメッセージをお伝えいたします。
「私の義を喜びとする者たちが 喜びの声をあげ 楽しむようにしてください。彼らがいつも こう言うようにしてください。『主は大いなるかな。ご自分のしもべの平和を喜ばれる方は』と。」
 この詩篇は、呪いの詩篇と呼ばれているものの一つです。それは、呪いをかける詩篇というのではなくて、ある意味で呪われたと思う心境の中にあって、心の毒を吐き出すことを助ける詩篇ですね。おそらくこの詩篇は、ダビデがサウロ王に命を狙われ、追跡を受け、彼の殺意と憎しみに振り回されていたときに書かれたのではないかと考えられています。
 しかもこの詩篇は、前の34篇の続編であったのではないかとも考えられていますね。つまり、前の34篇でも、ダビデはサウル王に命を狙われ、追い詰められた心境の毒を吐いていますが、そこでは神の助けがある確信を得て、最後には神を讃えています。
 ところがこの35篇で、消え去ったはずの心の暗闇にとらわれて、再び毒を吐いているわけです。確かに考えてみれば、神に信頼することは、それほど単純なものではありませんね。世の中には、理屈通りにいかないことは多いですし、解決したと思ったことが、解決もせずにダラダラ引きずっているということはあるものです。祈ってすっきり!もう大丈夫!なんてことはそうそうないものですね。神は助けて下さると信仰をもっていても、悩みは尽きないし、深まることすらあります。そして、何度も毒づいている自分に気づかされたりすることがあるものですね。
 けれども、そのように心がすさんでしまう時には、この詩篇を読みながら、それを受け止めてくれる神に心を吐き出していきたいものです。不幸に浸りきったり、人に毒を吐いていても、解決にはなりません。神様は、私たちの毒を受け止め、さらに私たちの願うところ、思うところを超えて、正しいことを成し遂げてくださるお方だからです。では良き一週を祈ります。

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