高価買取

出演者
水谷潔
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2019.11.02
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] テモテへの手紙第一 2章6節
放送日
2019.11.02

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。水谷潔です。
 最近は、リサイクルショップが増えて、看板や広告で「高価買取」「高価買取」という言葉をよく目にするようになりました。実は、「高価買取」を目にするたびに、私はある聖書の言葉を思い起こすんですね。それは、「贖い(あがない)」という言葉です。「贖い」とは、あまり日常で使わない言葉ですが、聖書の中では、もともとお金を支払って何かを買い取ることを意味します。
 では、何を買い取るのでしょう。宝石でしょうか。田畑や土地でしょうか。いえ!買い取るのは人間です。古代世界では、人間が売り買いされるという奴隷制度がありました。ですから、聖書に出てくる「贖い」の多くは、主に奴隷となってしまった家族や知人を、お金を支払って買い戻すことを意味しました。
 しかし、聖書に記されている「贖い」はそれだけではありません。実は聖書の中心は、神様が私たち人間を贖われたこと、代価を支払って買い戻して下さったことにあります。
 聖書によれば私たち人間は、神様に愛され、神様を愛し、神様とともに生きる存在として造られました。しかし、神様に背を向けて歩み始めた結果、私たちは罪の奴隷となってしまいました。死と恐れに支配され、喜び、希望、平安を失って歩まざるを得なくなりました。さらには、神様に背を向けて歩む罪のために、永遠に滅ぶべきものとなってしまったのです。
 しかし、神様はそんな私たちを愛し、大きな代価を支払って、私たちを買い取って下さいました。私たちを買い戻し、もう一度、神様のもとに引き寄せて下さったのです。そして、その買い取りのための代価が、神様の独り子イエス・キリストの命だったのです。
 新約聖書テモテへの手紙第一の2章6節は言います。「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。」
 イエス・キリストの命という代価が支払われ、私たち人間は買い取られているのです。支払われた代価は、神様の独り子の命なのですから、まさに「高価買取」です。町や新聞雑誌などで「高価買取」という言葉を目にしたら、どうか聖書の記す「贖い」を思い出して下さい。そして、支払われた代価を覚えて、自分がどんなにかけがえのない高価な存在であるか確認していただければと願います。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ