カイザルのものはカイザルに
- 出演者
- 関根弘興
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2019.11.01
- カテゴリ
- 人物・人生
- 放送日
- 2019.11.01
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
イエス・キリストの地上の生涯の最後の一週間のことは、新約聖書の四つの福音書に詳しく書かれています。イエス様は、エルサレムに入られると、まず神殿に行きました。そしてそこで、不当な利益を得ていた両替人や商売人たちを追い出されたんです。イエス様は、「あなたがたは、神殿を強盗の巣にしている。聖書に、『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。」と厳しく批判なさったんですね。
またイエス様は、当時の宗教家たちが、人々を見下し、高慢になってる姿を見て、その偽善性を厳しく批判なさいました。ですから、当時の宗教指導者たちは、イエス様に激しい憤りを持っていました。そこで彼らは、イエス様を言葉の罠にかけようとしてやってきたんです。言葉の罠とは、どのようなものだったかというと、それは、「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」という、二者択一の質問を持ってきたんですね。
もしイエス様が、「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっている。」と言ったらどうでしょう。ユダヤの民は、ローマ帝国に支配され、税金を取られて大きな不満を持っていました。ですから、イエス様が「カイザルに税金を納めなさい。」と言えば、民衆は、「イエスよ!お前はわれわれを救う救い主だろう。カイザルに税金を納めるとは何ごとだ!ローマ帝国の支配に服従するのか!」と反発して、イエス様への熱は冷めて、皆離れていってしまうでしょう。しかし、「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていない!税金を納めるな!」と言ったらどうでしょう。これは、納税を拒否するということになるので、即座に、ローマ政府への反逆罪としてみなされてしまいます。
しかしイエス様は、なんと、こう答えられたんですね。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」と。つまり、この世における義務は義務として果たしなさい。しかし、私たちは神様によって造られ、生かされているのだから、神様だけに返さなければならないものがあると言われたんですね。
それは一体何でしょう。それはまず、神様への心からの礼拝であり、生かされている感謝や賛美を、私たちは神様に返していくのです。神のものを神に返すという生き方は、人間の本来の生きる姿でもあるんですね。
イエス・キリストの地上の生涯の最後の一週間のことは、新約聖書の四つの福音書に詳しく書かれています。イエス様は、エルサレムに入られると、まず神殿に行きました。そしてそこで、不当な利益を得ていた両替人や商売人たちを追い出されたんです。イエス様は、「あなたがたは、神殿を強盗の巣にしている。聖書に、『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。」と厳しく批判なさったんですね。
またイエス様は、当時の宗教家たちが、人々を見下し、高慢になってる姿を見て、その偽善性を厳しく批判なさいました。ですから、当時の宗教指導者たちは、イエス様に激しい憤りを持っていました。そこで彼らは、イエス様を言葉の罠にかけようとしてやってきたんです。言葉の罠とは、どのようなものだったかというと、それは、「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」という、二者択一の質問を持ってきたんですね。
もしイエス様が、「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっている。」と言ったらどうでしょう。ユダヤの民は、ローマ帝国に支配され、税金を取られて大きな不満を持っていました。ですから、イエス様が「カイザルに税金を納めなさい。」と言えば、民衆は、「イエスよ!お前はわれわれを救う救い主だろう。カイザルに税金を納めるとは何ごとだ!ローマ帝国の支配に服従するのか!」と反発して、イエス様への熱は冷めて、皆離れていってしまうでしょう。しかし、「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていない!税金を納めるな!」と言ったらどうでしょう。これは、納税を拒否するということになるので、即座に、ローマ政府への反逆罪としてみなされてしまいます。
しかしイエス様は、なんと、こう答えられたんですね。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」と。つまり、この世における義務は義務として果たしなさい。しかし、私たちは神様によって造られ、生かされているのだから、神様だけに返さなければならないものがあると言われたんですね。
それは一体何でしょう。それはまず、神様への心からの礼拝であり、生かされている感謝や賛美を、私たちは神様に返していくのです。神のものを神に返すという生き方は、人間の本来の生きる姿でもあるんですね。