無駄を厭わない愛

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.10.18
カテゴリ
人物・人生
放送日
2019.10.18

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 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか。関根弘興です。
 イエス・キリストが、ベタニアのシモンという人の家に行った時のことでした。この村に住むマリヤが、大変高価なナルドの香油の壺を割り、イエス様に注ぎ始めました。するとその香りは家中に広がり、麗しい光景となっていきました。
 しかしそれを見た弟子たちは、なんという無駄なことをするのかと、マリヤを一斉に批判したんですね。しかしイエス様は、このマリヤの行為を、「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」とお褒めになったんです。
 弟子たちは、「あれは無駄だ。これも無駄だ。」と、損得の計算ばかりしていたようですね。本当の愛によって行動するということは、損得勘定を抜きにしたものです。といってもそれは、どんな浪費をしても構わないという意味ではありません。
 でも考えてみて下さい。イエス・キリストの姿の中には、一見無駄と思えることがたくさんあるように思いますよね。イエス様は、すぐにご自分から離れていってしまうような人々のために、癒しを行い、恵みの言葉を語り続けられました。また、五千人の人たちに、パンと魚を分け与えられた時には、十二のカゴにいっぱいなるほどパンが余りました。「そんな余らせて。なんと無駄なことか!」と思うかもしれませんね。
 またイエス様は、たった一人のサマリヤの女性と話をするために、わざわざユダヤ人が嫌っていたサマリヤ地方に行かれました。ユダヤ人にとっては、それはまったく時間の浪費で、ばかげたこととしか思えませんでした。エリコの町では、わざわざ嫌われ者の取税人、ザアカイの家に行かれましたね。町の人たちから見たら、なんと無駄なことをしているのかと思われたでしょう。
 そしてイエス様は、なんと私たちのために何をして下さったのでしょう。それは、神様に背を向けている私たち一人ひとりの身代わりとなって、十字架についてくださったと聖書は教えます。ご自分に逆らい、罵倒する人々のために、十字架で血を流すなんて、なんと無駄なことかと思いますよね。
 でも、イエス様のこの無駄死と思われたこの十字架の死が、人々の罪を赦し、神様の豊かな愛を示し、救いの道を開くものとなっていったのです。無駄を厭わない愛、それこそが、イエス様のあなたへの愛そのものなのです。

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