十戒-自由への励まし124 欲しがってはならない

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.09.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.09.26

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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる、神と人の間に結ばれた約束があります。十戒 第十の戒めは「欲しがってはならない」です。
 しかし、欲求、それ自体が罪ではありません。食欲も、睡眠欲も、性欲もまた、人が生きていくために神様が創造された、非常に良い欲求です。食欲、睡眠欲を、私たちが失うことになれば、健康を失い、病気になってしまいます。私たち人間は、神様が造られたように、ふさわしく欲求しないといけない存在なのです。
 しかし今、人間の欲望は、罪と汚れの中に堕落してしまいました。人間の最初の間違った欲望は、エデンの園で受けた神のようになれるよという誘惑に対して、自分は神のようになりたいと求めたことから始まりました。人間の陰謀すら伴う、欲しがる感情のもとにあるのは、神のようになりたいという感情です。つまり、神のように思いのままに振る舞いたい。世界を、人を思いのままに支配したいという思いが、次々と妄想を生み出し、策を練り、欲しい気持ちに没頭する生活を生み出していくのです。この誤った欲望こそ、私たちの犯してしまう罪の出発点となってしまうのです。
 このようなはじめの失敗をしたからこそ、私たちは欲望の行き先を考える必要があります。私たちが、いくら自分の人生に多くのものを手に入れたとしても、私たちは死んだ後まで、その手に入れたものを持っていくことはできません。死は、私たちの人生を冷静にしてくれます。これを手に入れたからといって何があるというのか、このように終りの日から人生を問うとき、私たちは人生を足し算ではなく、引き算で考えるようになっていきます。私たちは、あれがあれば幸せ、これがあれば幸せと、足し算で人生を考えやすいものです。その足りない何かを求めるために、私たちは盗みをなし、人を殺し、嘘をついてしまうのです。しかし、終りの日から人生を問い直す時、あれがなくても幸せ、これがなくても幸せと、人生を引き算で考えることとなるのです。そのときに、私たちがどうしてもあれがなければならないと思い込んでいたものが、実は最後的な観点からすると、取るに足りないものを、必死に求めていたのではないかという冷静さが与えられるようになるのです。
 今日、あなたの人生で、多くのものを失ったとしても、なお生きていける本当に必要なものを、あなたは持っているでしょうか。神様こそ、あなたにそれを与えることのできるお方です。

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