どんな益があるというのか

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.09.25
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] ヨブ記 21章15節
放送日
2019.09.25

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがありますね。今日も聖書を開いてまいりましょう。ヨブ記21章15節から「どんな益があるというのか」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「『全能者とは何なのか。私たちが仕えなければならないとは。どんな益があるのか。私たちが彼に祈り願ったところで』と。」
 ヨブと友人たちの議論も、だんだん煮詰まってきていますね。そしてヨブは、まず自分の言うことをよく聞くように頼んでいます。ヨブは杓子定規に物事を見たりせず、自分の信仰を認め、悪人呼ばわりすることをやめるように語っています。体が弱り、心が弱っているときには、あれこれ言われたくない。むしろ受け止めて理解して欲しいというのが、私たちの自然な気持ちでしょう。そこで、ヨブの言いたいことはこうでした。悪者の栄光はひと時である。そんなことはわかっているのだ。けれども、社会はさまざまな矛盾を含んでいて、要領の良い悪者が社会を支配し、貧しい者、力無き者が虐げられていく。神が彼らを罰することもなく、彼らの財産は増え、子孫も栄えていく。そんな私たちの信仰が否定される状況がある中で、私たちは苦しむことがあるのではないかと。
 確かに、ヨブが語る通りの面もありますね。しかし、ヨブは悪者と同じような考えに陥っていますね。悪者は、全能者が何なのか。なぜ私たちは彼に仕えなければならないのか。私たちが彼に祈って、どんな利益があるのかと考えます。つまり、悪者は損得で物事を考えて、得することがなければ、神を信じる意義などないと考えます。しかし、神を信じていても、苦しい時に神を信じる意義がないと考えてしまったら、それは、悪者と同じことでしょう。
 信仰者は、良い目見たさに神を信じているわけではありません。神を信じるのは、ただ私たちを愛しておられる神がおられるという現実の世にです。腐ってしまいそうなことが、ごまんとある世の中で、そのような事柄に振り回されない、神の存在を、ただ認めて喜んでいく信仰を大事にしたいものですね。では、良き一週を祈ります。

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