どこにいるのか

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき

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アップロード日
2019.09.18
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] ヨブ記 14章10節
放送日
2019.09.18

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがありますね。今日も聖書を開いてまいりましょう。ヨブ記14章10節から「どこにいるのか」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「しかし、人は死ぬと倒れたきりだ。人間は息絶えると、どこにいるのか。」ヨブ記は、非常によく構成が整った内容になっています。まず、ヨブが自分の心情を語り、三人の友人たちがそれぞれ、ヨブの言葉に対して自分の考えを述べていく。そしてまたヨブが語り、三人の友人が語る。繰り返しの構造がありますね。その繰り返しを読んでいくのは、結構忍耐を要しますが、そこに人間の人生を深く考えさせられる内容がありますね。
 ヨブは言いました。「木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出し その若枝は絶えることがない。・・しかし、人間は死ぬと倒れたきりだ。」死んでしまったらすべてが終り、人間の人生の一つの現実が指摘されているようです。
 またヨブは言います。「あなたは人の望みを絶ち滅ぼされます。」ただ彼は、自分の肉の痛みを覚え、その魂は自分のために嘆くだけです。確かに神は愛だ、あわれみ深いお方だと聞かされていても、いやそうでもない。神の愛と祝福を受けるには程遠い人間もいるのじゃないかと思わされる現実があるものですね。
 神は、正しいものを正しいとし、正しくないものを正しくないとする。そして所詮、正しくないのが人間なのだから、正しくない人間同士で、食い合って生きていくほかはない。それが人間社会の現実だ。何とも望みのない、虚しい気持ちになることもあるものですね。
 確かに、正しい神と罪ある私たちという対比だけで物事を考えていたら、そこに救いはないでしょう。しかし聖書は、私たち罪人の弱さをご存じで、私たちの側に立ち、神に取り成すキリストの存在があることを語っています。たとえ神が、あなたの罪を一つ一つ数え上げ、あなたの人生は、神の罰で償うほかはないのだと宣告されたとしても、その間にたってとりなして下さる救い主がおられることを明らかにしています。大切なのは、その救い主キリストを信じることでしょう。そこに人生の希望があるのです。では良き一週を祈ります。

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