イエス様の栄光

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.09.13
カテゴリ
人物・人生
放送日
2019.09.13

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 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
 イエス様は、すべての人を救いに導く救い主として来て下さいました。そして、ついにイエス様は、「わたしが栄光を受ける時が来ました」と弟子たちに語られたのです。弟子たちは、自分たちの国をローマの圧政から解放する救い主を求めていました。ですから、ついにイエス様が、大きなことを行う時が来たと考えたのでしょう。しかし、イエス様が言われた栄光とは、弟子が考えていた栄光とはまったく違っていました。
 イエス様が栄光を受ける時とは、なんと壮絶な苦しみを受ける十字架によってもたらされる栄光だというのです。それは、罪のないイエス様が、人々の罪をすべて背負って、罪の罰を十字架の上でお受けになるということでした。罪のない神の一人子なるイエス様が、人々の罪を背負うということ、これはどうして栄光なのでしょう。それは栄光ではなく屈辱ではありませんか。ですから、そんな不条理はありません。イエス様もこうおっしゃっています。「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか、『父を、この時からわたしをお救い下さい』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。」と、これは十字架の苦しみを前にした、イエス様の苦悩の言葉でもあるんですね。
 イエス様は、十字架の苦しみを前にして、できればその苦しみを受けずに済むようにして下さいと、祈らずにはいられませんでした。罪なき方が、人々の罪を背負うわけですから、そこには私たちの想像を遥かに超える苦悩があったのです。しかしイエス様は、続けて「いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです」と言われ、十字架の道をまっすぐに進んでいかれました。
 イエス様は、「一粒の麦が、もし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」とお語りになりました。これは、単なる一般論ではありません。イエス様ご自身が一粒の麦となり、ご自分の命をかけて救いの御業を成し遂げることによって、私たち一人ひとりに豊かな実を結ばせて下さるという、壮絶な約束の言葉なのです。イエス様の栄光は、自分の命を捨てることによって成し遂げられる、永遠の救いを完成するということでした。それほどまでに、一人ひとりは、イエス・キリストによって愛されているということなんですね。

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