わたしの家は祈りの家

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.08.16
カテゴリ
人物・人生
放送日
2019.08.16

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 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
 イエス様がエルサレムに入られ、神殿に行かれた時のことでした。神殿の一番外側の庭には、大勢の両替人や商売人たちがいました。彼らは神殿の中で、不当な利益を得ていた人たちでした。イエス様はそんな彼らに対して、あなた方は神殿を強盗の巣にしていると、両替人たちや商売人たちを追い出してしまわれたんですね。そして「『わたしの家は、祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか」と、旧約聖書のイザヤ書にある言葉を引用し語られたんです。
 このイザヤ書の箇所を読むと、そこには外国人と宦官が出てきます。ユダヤ人たちは自分たちだけが、神に選ばれた民だと考えていましたが、外国人でも神様を信じた人は改宗者と呼ばれ、神の民の中に加わることができました。しかしイエス様の時代には、神殿の一番外側に異邦人の庭というのが作られ、しかも、そこには、改宗者であっても、これ以上神殿の中に入ったら、殺されても責任を負わないというような看板が立てられていたほどだというのです。ですから彼らは、いつか神様から見捨てられ、切り離されてしまうのではないかと不安を感じた人もいたようでした。また、宦官、宦官は宮廷に仕える去勢された人たちですね。彼らは自分たちを、枯れ木のようにしか見られていないのではないかと、考えてしまうこともあったようでした。自分は身に欠陥があるから、神様から疎んじられてしまうのではないか、そんな思いを持った人もいたようでした。
 しかし神様は、預言者イザヤを通して、「わたしは、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ」と約束して下さったんです。それは、外国人も宦官も取税人も罪人も、誰でも真心から主を求め礼拝に来るなら受け入れよう。そこには何の差別もない。だから卑屈になったり、負い目や劣等感を持つ必要などない、心配する必要もない。神殿は、すべての民がやってきて、主に祈り、主と共にいることを楽しむ場所なのだからと、神様はイザヤを通して教えて下さったんです。
 神様は、私たちを誰一人として、分け隔てなく迎え入れてくださり、楽しませて下さるお方です。だから、誰でも神様を礼拝し、神様に祈り、楽しむことができる場所、それが本来の神殿の姿であり、教会の姿でもあるんですね。

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