十戒 自由への励まし-117 偽証してはならない

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.08.08
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.08.08

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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒とよばれる、神と人との間に結ばれた約束があります。十戒 第九戒は「隣人に対して偽証してはならない」とあります。   
 さて、以前に考えた「なぜ人は嘘をつくのだろうか」という問いに戻りたいと思います。なぜなら、いくら愛の言葉を語り合おうとも、偽りの証言を許さない社会になるように努めたとしても、依然として自分自身の本当の姿は、嘘をついてしまう弱さを抱えたままだからです。この嘘をつく自分の弱さについては、未だここで解決を見ていません。
 先日、私は自分がしたある出来事について、どうしたらごまかせるかと必死に考え込んだことがありました。そして、もっともらしい嘘をつこうと考え始めた自分がいることに気が付き、ハッとしたのです。そして、自分がなぜそのようにしたのかということを考えると、結局のところ、今まで築き上げてきた信頼、人間関係、自分への評価を失うことへの恐怖があったのです。その人たちの前で、恥じをかきたくないという思いが、嘘をつこうという思いになりました。
 人は嘘をつくとき、そこには嘘をついてでも失いたくないものがあります。キリストが十字架に掛かられる直前、キリストの弟子ペテロが、私は誓ってイエス・キリストなど知らないと嘘をつきました。ペテロは、目の前で殴られ、罵られ、惨めな姿でいるイエス・キリストを、自分の信仰の対象とし、あなたもあの仲間だと思われることを恥ずかしく思ったのです。しかし、ペテロはその後、キリストの十字架の愛と赦しに出会います。そのときに自分の嘘をつく弱さを知っていて、ずっと前に弟子として選んで下さったイエス様の愛の計画、選びの計画を思うとき、その愛に圧倒されることとなります。やがてペテロは、自分が嘘をついたこのエピソードをいろんなところで話しました。そして聖書に記されたのです。
 キリストの十字架こそ、嘘つき隠しながら生きる苦しみから私たちを解放してくれます。キリストの十字架の圧倒的な愛と赦しの前に立つ時、嘘をついてまで失いたくないと握り締めていたものが、それほど大したものではないことに気付かされるのです。そして、イエス様の十字架の苦しみ、人から受けられた恥じを思う時、私たちは人の前で一時の恥じをかくことも恐れなくなります。なぜなら、キリストの十字架は、嘘をついた自分をも赦し、弱さを知っていて選んでくれた、神の愛のあらわれだからです。この十字架の赦しを得て、私たちは真実を語る自由を手に入れたいと思います。

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