神の目が注がれていたので

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.08.07
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] エズラ記 5章5節
放送日
2019.08.07

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。エズラ記5章5節から「神の目が注がれていたので」と題して、メッセージをお伝えいたします。
 「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができなかった。」
 エズラ記に入りましたね。少し、背景を説明しておきましょう。紀元前582年、南ユダ王国はバビロンに滅ぼされ、多くの人々が捕虜としてバビロンに連れ去られました。それから約70年後、彼らは再び、神の哀れみによってエルサレムに戻ることのみならず、エルサレム再建を許されて懐かしき故郷に戻ってくるのです。ところが、エルサレムを長く留守にしていた間に、そこには他の民族が移り住み、その人たちによって彼らの再建工事は幾たびも妨害され、なかなか進まない事態に陥りました。しかし、そのようなイスラエルの民の心を励ますために、神は預言者を起こし遣わされるのです。預言者ハガイは、その一人であり、聖書のハガイ書を書きましたが、そのハガイ書をエズラ記と一緒に読むと、そのメッセージがよく理解されますね。
 ともあれ神は、私たちに使命を与えておられますし、その使命に気づいて行動を起こす者に、ご自身の御言葉を持って励ます助け手を遣わされるのです。しかし、多くの人々はその使命を理解しようと、また見いだそうともせずに、ぼーっと時を過ごしてしまっていることがあるでしょう。あるいは使命感を持っても、さまざまな障害に志し半ばの思いでいる人もいることでしょう。しかし、志しを持ったならば、最後まであきらめないことです。使命感に立ったユダヤの長老たちを神が守られたように、私たちの上にも、神は目を注いで、物事が立て上がっていくように後押しされます。そのような神がおられること覚えて、自分に与えられた使命を発見し、実現していく人生を歩みたいものですね。では良き一週を祈ります。

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