十戒-自由への励まし-116 偽証してはならない

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.08.01
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.08.01

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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書の言葉は、人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くための言葉なのです。
 十戒の第九戒は、「隣人に対して偽証してはならない」です。第九戒は「隣人に対して」という枠があります。いつもそこには、自分のそばにいる人への愛が鍵となるのです。自分のそばにいる大切な人が苦しんでいる。そのときに、その人の苦痛を共に背負う人間関係を作っていこうという思いへと向かっていくのです。偽りの証言をしない。真理を言おうという姿勢は、時に、その表現がとがり過ぎることがあります。いくら主張が正しくとも、その語り方が聞く人に受け取りにくいものであるならば、それは「隣人に対して」という、十戒 第九戒の愛のまなざしからはずれていることとなるのです。「あなたのためを思って言っているのよ」という言葉が、人を傷つけることがあります。愛が束縛の言葉となるのです。そのときその愛は、偽りの言葉になってしまいます。私たちは、私たちの語る言葉の成熟が必要になります。真理を言うときも相手の立場に立つのです。どんなふうに聞こえるだろうか。どんなふうに受け止められるだろうか。さらには自分の動機を深く探るのです。自分の自己正当化のために言ってはいないか。この言葉を伝える自分の動機は、愛から来ているだろうか。十戒 第九戒が願うのは、私たちが隣人の事情を深く配慮し、知恵のある決断がなされるように導くことです。私たちが真理を伝えようとするその人の人生が、罪の中に陥ることのないように徹底的に守られるよう祈るのです。
 私が大切にしていることがあります。手首に巻くリストバンドに書かれていたりしてはやりましたWWJDという言葉です。”What Would Jesus Do?” イエス・キリストだったら、どうされただろうかという意味です。今、イエス・キリストだったらどうされただろうか。私たちの頭が正義感に満ちて、正論を語っている時にこそ、この一瞬という自分に問いかけてみたいのです。今言っている事柄は間違いではない。でも、この言い方をキリストはされただろうか。こんな話し方で語られただろうか。カーッとなっている頭を一旦沈めて、愛の言葉になるように変わる不思議な言葉です。今日も皆さんの発する言葉が、愛の言葉でありますようにお祈りをしています。

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