十戒 自由への励まし-115 偽証してはならない

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.07.25
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.07.25

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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒 第九戒は「隣人に対し偽証してはならない」です。それでは、「自分は正直に生きている。自分は嘘をついていません」と言い張る人は、第九戒の違反はしていないのでしょうか。しかし、本人の気がついていない自分の正当性をのみ主張する正義感ほどタチが悪いものはありません。第九戒は、「隣人に対して」という言葉があることを私たちは忘れてはいけません。第九戒は、自分が正直であることへの自己満足を目的とはしていません。第九戒は、自分の正しさを言い張るための道具ではなく、隣人に対しての自らのあり方を問うているのです。私たちは、事実に即した言葉であるかよりも、愛に満ちた真実が含まれているかということを問うべきです。私たちが語る言葉が、真実に忠実であろうとするならば、私の語る言葉が、誰に語るかに応じて違ってきます。真実な言葉は硬直した言葉ではなく、私たちの生活の中に生きて働く優しさをともなった言葉であるはずなのです。
 ある人がこう言いました。「真理は常に、当惑している隣人の事情を考えて探求され、証言されるものである。真理は、自分に好都合なものではない。真理は、第九の戒めの中にあるのであって、キリストの光の中にある。すなわち、愛へと向かう方向付けの中にあり、それは隣人の事情を考慮することを意味する」と語りました。十戒 第九戒の語る真理こそ、キリストの光、イエス様の愛の方向付けがあるのかということを問うのです。いくら正しいことを言う場合も、いや、正しいことを言おうとする時にこそ、今私の動機は、愛から始まっているのかということを考える必要があるのです。第九戒は、隣人に起こっている事柄や事情を無視し、原理原則論で裁き、訴えることもまた許していません。
 私は牧師をしていますが、牧師には守秘義務があります。そこで、いくら教会員に、「先生、本当のことを言って下さい」と突きつけられても、選び取らなければならない沈黙があるのです。その時むしろ自分が非難を受け、恥をかかされたとしても、信頼を失いそうになったとしても、孤独に秘密を守らなければならないこともあるのです。これは先にあげた隠蔽や自己弁護の言い訳とは全く違うものです。今朝、私たちの正しさが、隣人への愛の光の中にあるものとなりたいと思います。今日も、私たちのいかなる言動の動機も、愛となるようにお祈りしましょう。

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