十戒 自由への励まし-109 偽証してはならない

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.06.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.06.13

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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書の言葉は、人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くための言葉なのです。
 十戒 第九戒は「隣人に対して偽証してはならない」です。この教えは、この世の中にはびこる偽りの情報に対して、毅然とした姿勢をとることを示しています。ルターという人は言いました。誰の感情も害したくないところから、恩恵、金銭、行為、友情に従って、へつらいを便じ、その結果、貧しい者は事件の真相を押し曲げられて不正とされ、罰せられずにはすまないこととなる。つまりルターは、偽りの愛という嘘に誘惑される人間の弱さについて語っているのです。友情や、人から受けた恩が、あるいはお金のことで助けられた経験が、真実を隠してしまうことへ動くことが人にはあるのです。ときにクリスチャンも、罪の指摘をするしんどさを避け、そこに偽りがあっても、誰かがそれを指摘するだろうと、自分自身がその責任を負うことから逃げてしまいそうになることがあります。私たちは真理であることよりも、人間関係の方を選ぶことがあるのです。
 ことさらに和を重んじる日本人の中に、偽預言者的体質を生みやすい傾向があるのかもしれません。もちろん、人格を損なうような表現主張は、間違いなくしてはいけません。しかし、誰かがその偽りの情報操作で苦しんでいることを、見て見ぬふりをすることは、十戒 第九戒で禁じていることを容認していることとなるのです。私たちは、その犠牲に合っている人の痛みや悲しみを、想像する力を持つことも必要なことです。自分にとって大切な友人が罪を犯したときに、その罪を指摘することは辛いことです。ましてや、その本人がその罪を認めていないときは、指摘したことで今まで築いてきた関係が壊れることは想像しやすいことです。見て見ぬふりをしていたい思いに駆られることも、私の中でもありました。しかしイエス様は、私たちの罪を見て見ぬふりをされることはなかったのです。一時的に、人の非難を逃れることができたとしても、神様の前での誠実さを失って生きる人生の悲惨があります。さらに終りの日、神様の御前に立つ日、私たちは神様からその罪を指摘されることよりも、その罪をきちんと悔いあらためて生きることの方が、どれほど大きなことなのでしょうか。
 私は私の罪を愛をもって指摘してくれた人に、今心から感謝をしています。そのような愛をもって、違いの誤りの指摘をすることのできる社会の形成を、十戒 第九戒は望んでいるのです。

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