サウロの変身
- 出演者
- 板倉邦雄
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2019.05.28
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] コリント人への手紙第二 5章17節
- 放送日
- 2019.05.28
世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「サウロの変身」という題でお話しします。同じ人間が、ここまで変われるものだろうか。サウロという人物は、まさにその証となりました。使徒の働き9章の続きです。
さて、回心したサウロは、ダマスコにいるキリスト信徒たちと共に過ごしました。その後、直ちに安息日ごとに諸会堂へ行っては神様を礼拝し、集まった人々にイエスの出来事を宣べ伝え、「このナザレのイエスこそ、神の子である。」と説教を始めたのです。
「 ナザレのイエスは、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださいました。そればかりではありません。イエスは神の子でしたから、三日目に主なる神はイエスを死人の中から蘇らせました。私はダマスコ郊外でこの復活のイエスにお会いしたのです。」
この説教を聞いた人々は、皆、非常に驚いてしまい口々に言いました。「あの男は、確かエルサレムの都で迫害した人ではないか。その上、このダマスコまでやってきても、イエスの信奉者たちを縛り上げて引っ張っていくためではなかったのか。」人々は、サウロの変身ぶりに驚きを隠すことはできませんでした。ミイラ取りがミイラになってしまったからですね。サウロは、イエスの十字架と復活を語るときになりますと、ますます力が加わり、このイエスこそ、私たちが待ち望んでいた救い主であることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せたのです。
しかし、このサウロの変身を面白く思わないユダヤ人たちがいました。ダマスコの多くのユダヤ人たちが、イエスを、神の子とを信じるようになっていったからです。サウロを裏切り者と思っているユダヤ人たちは、サウロを殺す相談をしました。その陰謀が、サウロの知るところになったのです。ダマスコの門には一日中、見張りが張り付いていました。そこでサウロの仲間たちが、夜中、サウロをカゴに乗せて彼を逃したのです。
私たちも、主イエスを信じるとき、新しく生まれ変わることができます。聖書の言葉です。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」コリント人への第二の手紙5章17節
さて、回心したサウロは、ダマスコにいるキリスト信徒たちと共に過ごしました。その後、直ちに安息日ごとに諸会堂へ行っては神様を礼拝し、集まった人々にイエスの出来事を宣べ伝え、「このナザレのイエスこそ、神の子である。」と説教を始めたのです。
「 ナザレのイエスは、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださいました。そればかりではありません。イエスは神の子でしたから、三日目に主なる神はイエスを死人の中から蘇らせました。私はダマスコ郊外でこの復活のイエスにお会いしたのです。」
この説教を聞いた人々は、皆、非常に驚いてしまい口々に言いました。「あの男は、確かエルサレムの都で迫害した人ではないか。その上、このダマスコまでやってきても、イエスの信奉者たちを縛り上げて引っ張っていくためではなかったのか。」人々は、サウロの変身ぶりに驚きを隠すことはできませんでした。ミイラ取りがミイラになってしまったからですね。サウロは、イエスの十字架と復活を語るときになりますと、ますます力が加わり、このイエスこそ、私たちが待ち望んでいた救い主であることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せたのです。
しかし、このサウロの変身を面白く思わないユダヤ人たちがいました。ダマスコの多くのユダヤ人たちが、イエスを、神の子とを信じるようになっていったからです。サウロを裏切り者と思っているユダヤ人たちは、サウロを殺す相談をしました。その陰謀が、サウロの知るところになったのです。ダマスコの門には一日中、見張りが張り付いていました。そこでサウロの仲間たちが、夜中、サウロをカゴに乗せて彼を逃したのです。
私たちも、主イエスを信じるとき、新しく生まれ変わることができます。聖書の言葉です。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」コリント人への第二の手紙5章17節