主の民となるという契約

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.05.15
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 列王記第二 11章17節
放送日
2019.05.15

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むごとに、不思議にも自然と養われていくものがあるものですね。では今日も聖書を開いてまいりましょう。
 今日は列王記第二 11章17節から「主の民となるという契約」と題して対してメッセージをお伝えいたします。「エホヤダは、主と、王および民との間で、彼らが主の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。」
 南ユダ王国には、ヨラム、アハズヤ、そしてアハズヤの母、アタルヤと悪い王様が続く時代が訪れました。特にアタルヤは、北イスラエル王国の王様アハブとイゼベルの娘でしたから、彼女は南ユダ王国に、偶像崇拝であるバアル礼拝を積極的にもたらしました。結果、南ユダ王国には約13年もバアル礼拝がはびこり、誠の神のみを信じる南ユダ王国にとっては、霊的な暗黒の時代となっていくのです。また北イスラエル王国ではエフーという王様が起こり、アタルヤの両親アハブとイゼベルが殺される事件が起こりました。アタルヤは、南ユダ王国にもその影響が及ぶことを恐れ、王の子を皆殺しにするのです。それは、ダビデ家の存続が脅かされる。つまり、救い主であるイエス・キリストが、ダビデの家系から産まれるという、メシヤ預言の成就が危機に陥ったことを意味するものでした。
 けれども、神は確かに生きておられるのですね。皆殺しの危機的状況の中で、王子ヨアシュが救い出され、6年間、神殿にかくまわれて育てられるのです。神殿はアタルヤの目を逃れる格好の場所となり、メシヤ預言の成就は守られていきます。大切なのはこのメシアを待望し、誠の神を恐れ、信頼する信仰がイスラエルの民の中に存続していたことでしょう。祭司エホヤダの指導のもと、6年間ヨアシュがかくまわれたのも、神を恐れ、神のこことばに生きようとした人々が存在したからです。時代がどのように揺れようとも、神の御言葉にまっすぐ生きる。そのようなものでありたいものですし、それによって偉大な神の御業を見るものでありたいものですね。では良き一週を祈ります。

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