サウロの回心-3

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.05.14
カテゴリ
人物・人生
放送日
2019.05.14

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世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
 今日は、「サウロの回心-3」サウロの回心を通して、キリスト教での回心についてお話します。使徒の働き9章です。
 さてダマスコの町に、アナニアという一人のキリスト信徒がいました。この人に、主イエスが現れて言われました。「アナニアよ。サウロというタルソ人をたずねなさい。彼は今、祈っています。」サウロは失明の中で、三日間、何を考え、何を祈っていたでしょうか。罪のないステパノを死刑にしたこと、ナザレのイエスを信じる人々を、脅迫し、暴力をふるい、縛り上げて、獄に投げ入れて苦しめたこと、それが、神の子・主イエスを迫害していたことです。なんと神を恐れぬ、人を人とも思わぬ悪行三昧でしょうか。今までの考え方、今までの生き方を悔いて祈っていたのではないでしょうか。
 回心の第一歩は理性において考え方が変わるということです。サウロは、三日間の祈りの生活の中で、心からその悪行を悲しみ悔いていたのではないでしょうか。ですから、回心の二歩目は、心からの罪悪の告白です。罪と悪を悲しみ、嘆き、離れることではないでしょうか。
 聖書のことばです。「罪人どもよ、手を清めよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。苦しめ、泣け、あなた方の笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。」
 そして主イエスは、サウロに新しい使命を与えました。「あの人サウロは、私の名を伝える器として、私が選んだものである。私の名のために、サウロがどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう。」
 サウロの回心は、理性において考え方が変わるだけではありませんでした。また感性において罪と悪を悲しみ、悔いただけではありませんでした。サウロは意志において、神のために生きていこう。イエスの名のために苦しむことによって、今までの人々への脅迫、暴力、殺害の償いをしていく生き方に変えられていったのです。
 ですから、回心の第三は、意志において生き方が変えられていくことなのです。

コメント

beth-ciao
既聴

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