主が共におられるので

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.05.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
 167?9節
放送日
2019.05.13

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世の光の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。
 第二週の月曜日は、旧約聖書の創世記に登場する信仰者のアブラハム、そして、ヤコブの人生を学び、最近はヨセフの人生を学んできました。来月からは、旧約聖書の出エジプト記からモーセの生涯を学んでいきたいと願います。その前に、この創世記に登場した人々の、生涯を貫く信仰の歩みについて、イスラエルの王、ダビデの詩篇のことばをかりて触れておきたいと思います。
 ダビデは、詩篇の中でこう歌っています。「私はほめたたえます。助言を下さる主を。実に夜ごとに内なる思いが私を教えます。私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。
それゆえ私の心は喜び私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。」旧約聖書 詩篇16篇7節?9節
 創世記に登場するアブラハム、ヤコブ、そしてヨセフは、それぞれの苦難を通りましたが、その苦難を通し、神の御手の中で練られ、寝られ整えられていきました。彼らは常に、自分たちの弱さと向き合いました。自分の限界と向き合うことは、決して嬉しいことでも楽なことではありません。しかし、それこそ主の招きであり、彼らはその弱さや限界を通して、主権者なる神様の愛と恵みに信頼するように導かれたのです。様々な人生の苦難や葛藤の中でこそ、彼らは、主である神様の前に自分をおきました。自分の人生の中心に神の存在を置いたのです。そして、彼らはそこで、神ご自身が主権をあらわす自分の右側にいてくださることを知り、そこで、主なる神様を認めることによって、彼らは整えられ続けたのです。それは、自分の知恵や力ではなく、主ご自身への完全な信頼を学び続ける事でもありました。
 私たちも、主の前に自らをおき、信仰によって自分の主権を神様に委ねるとき、どんな中にあっても揺るがされない人生を歩むことができるのです。私たちもまた、どんなときにも主を見上げ、主に信頼して歩むものとさせていただきたいと願います。
 聖書のことば 「私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。」詩篇16篇8節

コメント

beth-ciao
既聴。

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