私はまさっていませんから

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2019.05.01
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 列王記第一 19章4節
放送日
2019.05.01

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
 「継続は力なり」聖書は一日一日と読み進むごとに、不思議にも自然に養われていくものがあるのですね。では今日も聖書を開いてまいりましょう。 
 今日は列王記第一19章4節から、「私はまさっていませんから」と題してメッセージをお伝えいたします。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
 列王記に特徴的な記事として、預言者エリヤのエピソードがあります。旧約聖書の中でエリヤは、イスラエルの出エジプトを導いた偉大な指導者モーセに並ぶとても重要な人物です。エリヤは、ユダの王妃イゼベルに仕える異教の預言者たちと、霊的な力の対決をし勝利をおさめました。これを知ったイゼベルは、エリヤを遣わす神が本当に生きておられて、恐るべき方なのだと悟り悔い改めるのではなくて、むしろ激しく怒り、エリヤを殺そうとするのです。
 さてそれまで、神以外の何者をも恐れず、神の裁き司として勇敢であったエリヤは、どういうわけか使者に伝えられたイゼベルのことばを聞くと、恐れをなして逃げだしてしまいました。「私はそんな大層な人物でもない。普通の人間。もうこんなお役目はごめんだ。早く私の荷を降ろしてください。」と言わんばかりですね。
 新約聖書には、ヤコブの手紙というものがありますが、その著者ヤコブは、そんなエリヤを指して「私たちと同じような人である。」と言います。確かに人には、大胆で勇敢な時もあれば、全く尻尾を巻いて逃げてしまうような弱虫になる時もあるものでしょう。
 けれども、このエピソードが語る大切な点は、そのように浮き沈みのあるエリヤの弱さを、神様がしっかり受け止めて助けを与えている点です。一人では立てないとごねるエリヤに、神様は強力な助け手を起こされています。神様は、私たちの弱さも悪さもみなわかった上で、勝利や祝福を約束してくださるお方です。神の私たちに対する愛と真実さは永久に変わることがありません。まことに哀れみ豊かで、私たちの側に立って下さる神に信頼し歩ませていただきたいものです。では良き一週を祈ります。

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