主よ、どうか

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.04.03
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] サムエル記第二 15章31節
放送日
2019.04.03

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
 「継続 は力なり」聖書を一日一日と読み進むごとに、不思議にも自然と養われていくものがあるものです。では、今日も聖書を開いてまいりましょう。
 今日はサムエル記第二 15章31節から、「主よ、どうか」と題してメッセージをお伝えします。「そのときダビデは、『アヒトフェルがアブサロムの謀反に荷担している』と知らされた。ダビデは言った。『主よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」
イスラエルの王様ダビデ王は、王国の基礎を築き、これを拡大するすばらしい働きをしましたが、その後、バテシェバという女性と関係を持ち、その夫を殺してしまう極悪非道の罪を犯してしまいます。神に与えられた地位に慢心したというべきでしょうか。ダビデは、その罪を指摘され悔い改めますが、王としての威信は揺らぎ、やがて長男のアブサロムが謀反を起こし、命を狙われるようになりました。
 ダビデはかつて、サウル王に狙われたように、宮廷を逃れ、再びあてのない逃亡者の生活に落ち込んでいくのです。このときダビデは、詩篇62篇を作りました。そこにはこうあります。「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。わたしの望みは神から来るからだ。神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私はゆるがされることはない。私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は 神のうちにある。」ダビデは、このつらい時期に、ただ神に望みをおいて助けを得たいと願ったのです。
 自分の身から出たサビとはいえ、その情けない気持ちの中でダビデは神に「主よ、どうか」と呼びかけました。そして、アブサロムの参謀、アヒトフェルのはかりごとが虚しいものとなり、この絶体絶命の時から救われるようにと祈るのです。そして神は、ダビデによくしてくださいました。
 何と神様も甘いなと思われますか。確かに、そういう面もあるでしょう。しかし、人間は誰しも完全ではありません。そして神は、真に悔い改め、主を呼び求める者の心をないがしろにはされないのです。命ある限り、正しき者にはいつでも主の憐れみがあると期待したいものですね。では、良き一週を祈ります。

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