わたしは世の光です(目の見えない人の癒やし2)

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 病気のとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.08.04
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 9章
放送日
2022.08.04

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「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
生まれつき目の見えなかった人が、イエスに目に泥を塗られて「シロアムの池に行って、目を洗いなさい」と言われて、その通りにすると目が見えるようになりました。
目が見えるようになった彼は、イエスに会わないまま自分の家に帰りました。
驚いた近所の人々は、目が見えるようになった彼をパリサイ人のところに連れていきました。パリサイ人は律法に厳格な人々でした。
律法によれば「安息日に仕事をしてはならない」とされていました。イエスが彼を癒やしたのは安息日だったのです。
パリサイ人は、見えるようになったことを彼から聞くと、まず、ある人たちが言いました。「その人は安息日を守らないのだから、神のもとから来た者ではない」
ところが、ほかの人たちは言いました。「いや、罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができるだろうか」この人たちは、イエスが神のもとから来た者であると認めたのです。
困ってしまった彼らは目が見えるようになった人に聞きました。「おまえは、あの人についてどう思うか。あの人に目を開けてもらったのだから」
彼は答えました。「あの方は預言者です」
預言者とは、神から遣わされて神のことばを人々に語る人のことです。ですから、彼はイエスが神のもとから来た者であると告白したことになります。
ユダヤ人たちが、今度は彼の両親を呼び出して尋ねました。すると、彼の両親は答えました。「これは、盲目で生まれた私たちの息子です。しかし、どうして今見えているのかは知りません。本人に聞いてください。」
両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからです。すでにユダヤ人たちはイエスを神から遣わされたキリストであると告白する者がいれば会堂から追放すると決めていたのです。
そんな中でイエスが神から遣わされた人であるという告白がなされたのです。明日は、見えるようになった人のさらなる証言をお話しします。ぜひ、お聞きください。

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