主は生きておられる

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2022.06.24
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] サムエル記第二 4章9節
放送日
2022.06.24

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はサムエル記第二4章9節から「主は生きておられる」と題してお話しをします。

「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。」
将軍アブネルがヨアブに暗殺された事件は、イスラエルに大きな衝撃を与え、事態は急転換していきました。というのも、2人の略奪隊長バアナとレカブが、イシュ・ボシェテの権威はもはやこれまでと見限って、自分たちの王を殺して、その首をダビデに届けるのです。こうしてイスラエルの勢力は、大きくダビデ側に傾いていきました。おそらく2人も、ダビデが喜んで自分たちを評価し、引き立ててくれることを期待していたでしょう。しかし、それは大きな誤算でした。ダビデは彼らの期待通りに考えるような人ではなかったのです。
物事には、さまざまな進め方というものがあるものです。生き馬の目を抜くような人もいれば、情をもって物事が進む時を待つという人もいるでしょう。そのような意味では、ダビデは人情味のある人、たとえ小さな恩義であれ、それを忘れない人でした。そして、サウルの手痛い仕打ちを受けても、サウルもまた神に愛された人であり、神に立てられた人であることを認める、信仰の人でした。ダビデはなりふり構わぬ勝利よりは、誰が見ても受け入れられる公正な勝利、神に栄誉を帰せられる勝利を求めていたのです。
世の中には、本当に2人の略奪隊長のような人がいるものでしょう。機を狙う者たちが、悲しい結末を引き起こしていくことがあります。同じことをするにしても物事の進め方、価値観の違いという問題があるのです。そのような意味で、中世の十字軍の蛮行の故に、キリスト教が信じられないという人もいるものです。
しかし、問題はキリスト教にあるのではありません。信仰が悪いのではありません。信仰を究極の権威として悪用する人間が問題なのです。信仰者には信仰者らしい物事の進め方があります。そのためには、神を利用するのではなく、神の愛と正義に生きることなのです。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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