ルカの福音書-99 神は触れてくださる

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.05.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 5章
放送日
2022.05.20

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
ルカ福音書を順番に読んでいます。重い皮膚病を患った男性がイエス様に癒してほしいとひれ伏して願い出ました。すると、イエス様は手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました。すると、すぐにツァラアトが消えたのです。
ひれ伏していた彼は、自分の身体に触れてくれる手の温もりを感じました。誰も触ってくれる人などいない。家族でも直接触ってはこない。イエス様は社会的、宗教的な掟を破られました。彼に触り、彼の心に触れられたのです。「触る」というのは存在の全肯定です。古い戒めなど、ものともせずに魂に寄り添われるキリスト。誰にどう言われるかなど関係がない。彼は自分をそのままで受け入れてくださる方に出会ったのです。
そして、聞こえてきました。「私の心だ。」この人は神の心に触れたのです。神の心は暖かかった。優しい手のぬくもりでした。この人は神に聞きました。「お心でしたら」「あなたが望まれるのであれば」すると、神の心は「あなたの望んでいるように、私も望む。きよくなれ。」
私たちは「私の願いは、神様のみ心とはかけ離れているはずだ」と思い込みやすいところがあるかも知れません。しかし、彼の願いを私の願いと同じだと言ってくださるイエス様がいるのです。それならば、私たちも願わないと、望まないと神の心はわからないでしょう。祈らないとわからないのです。そして、祈ったらわかる。「ああ。神様も願っていてくださったのか。」「この願いを願い続けていて良いのだと」と祈り求めたからこそ、神の願いも神の心も知っていけるのです。
私たちは今日ツァラアトではなくとも、何かしら汚れていると言わざるを得ない自分の過去や自分の弱さがあるでしょう。人前に出ていけないような忘れ去りたい罪があります。自分で自分を愛せず、自分の過去を自分で否定してしまう。しかし、イエス様はおっしゃるのです。「あなたを誰にも汚れているなど言わせない。自分で自分のことを汚れているなんて言ってまわる人生など生きていかなくて良い。これが神の心だ。」
皆さんにもこの神の心と出会って欲しいのです。この神の心があなたに今、触れている。このぬくもりを感じて欲しい。「あなたは汚れてなどいない。私があなたを守る。」これが神の心です。

コメント

K.Yutaro
いつも「世の光」に励まされています。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

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