ルカの福音書-87 目的を見失わないために

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 病気のとき
  • 眠れないとき

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アップロード日
2022.01.14
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 4章
放送日
2022.01.14

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
ルカ4章で、カペナウムでたくさんの病気の人々が、イエス様から癒やしを与えられたいと集まってきていました。そこで「イエス様、ここにもっといてください。」「どこにも行かないでください」ということばをイエス様は聞きました。カペナウム会堂の人たちは、イエス様のことをとても愛していましたし、イエス様も愛されていました。
私たちも無理をしてでもこの人々の必要に答えたいと思う気持ちが湧いてくることがあります。そして、やがて疲れ果てることがあります。忙しくなりすぎると、自分のなすべき使命を見失うことがあるのです。目の前のやるべきことに夢中になり、目の前の必要に応えることに必死になる。そして教会でも教会のためにと思って言ったことが、激しく誰かを傷つけるということも起こります。「これぐらいして当たり前でしょ」と、感謝のことばも消えていってしまうことがあるでしょう。
この時期、中学生、高校生が受験勉強に励んでいます。しかし、それは何のためにやっているのか。偏差値の高い学校に入るためなのか。人から羨ましがられるような進路を選ぶためなのでしょうか。あるとき、私たちの教会の高校生で学校の先生になりたいと願って受験勉強をしている一人の男の子がいました。彼がこう言ったのです。「この礼拝に出ている時間もライバルたちは英単語を覚えている。礼拝に出ることに本当に意味があるんですか。」と聞いてきました。「そうだね。でも礼拝に出ることを選ぶというのは、何のための人生なのか。何のために自分が生かされているのか。そのことを見失わないためなんだよ。何のために教師になろうとするのか、それを見失うならば、それは教師になったとしても、生きる目的を語る教師にはなれない。君にはそれを見失わない教師になってほしいんだ。」
忙しいと私たちは目的を見失います。本当になすべきことを見失うのです。神様のもっておられる目的よりも、自分のやりたいこと、かなえて欲しいことに集中しようとします。
イエス様が静かな場所で、父なる神様と祈りながら再確認されたこと、それは自分がこの地上に遣わされた理由を確認するためでした。引き留めようとする人たちに「自分のなすべきことは、他の町にも神の国の福音を宣べ伝えることだ」と伝えられたのです。今日もあなたのなすべきことを神様との時間の中で、体と心を休めながら、再確認していただきたいと思います。

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