クリスマスのクラリネットとの出会い、そして音楽の道

出演者
柳瀬洋さん(ユーオーディア 代表)、飛田紀代美
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • クリスマス

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アップロード日
2021.12.06
カテゴリ
人物・人生
放送日
2021.12.06

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「世の光」の時間です。アナウンサーの飛田紀代美です。今週はクラリネット奏者の柳瀬洋さんの話をお送りします。
柳瀬さんは国内外の音楽コンクールやオーディションで数々の賞を受賞。ソリストとして活躍するとともに現在は日本のクリスチャン音楽家たちによる音楽宣教団体ユーオーディアの代表を務めながら幅広い活動を行っています。今日は第一回「クラリネットとの出会いとクリスマスプレゼント。そして音楽の道」です。

私は四国の愛媛県今治市に生まれました。中学校のブラスバンド部でクラリネットを始めました。学校の楽器を毎日借りて帰っては、家でもしがみつくように吹いておりました。そんな私の姿を見て両親が中学校一年生のクリスマスの日に、朝起きたら両親が「裏の納屋に行ってごらん。」と言うものですから、走って行ったらそこにクラリネットがあったのですね。その時の嬉しさっていうのは懐に抱っこして寝るぐらいそれぐらいクラリネットに夢中になったのです。
中学、高校と一生懸命やっているうちにプロの道を目指したいと強く願うようになりまして、そして東京に受験のためにやってまいりました。東京芸術大学の四次試験まであるその一次試験で見事に落ちてですね、「井の中の蛙」というのは自分のことだなということをその時、嫌というほど味わって、でも、本当に悔しい思いをいたしまして、それから帰って一年間、遮二無二練習しました。その頃、私の口癖だったのは「負けるものか」というのが口癖でしたね。
そのようにして、一年浪人生活を過ごして、翌年もう一度チャレンジして今度は何とか通ることができて、とにかく練習して学生時代はライバルから「マシンガン柳瀬」なんて言うニックネームを付けられたのですね。「あいつはどんな難しい曲でも、機械のようにバラバラバラって吹いてしまう」というふうにからかったのですけど、でも私はそのニックネームがまんざら嫌いじゃありませんでした。自信満々になってやっておりました。
そして、次にドイツに渡って勉強を進めようということになったのですね。大学を出て日本学校からも賞をいただいたりして大学院も修了して、26歳で野心と自信を持ってドイツに留学いたしました。しかし、そこでの私の体験がそれまでの人生とは全く違う、自分の音楽人生を全く変えることになりました。
今週は柳瀬洋さんのお話をお届けしています。明日もどうぞお楽しみに。

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