天からのパン、マナ

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2021.11.23
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 16章6-7節
放送日
2021.11.23

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。火曜日と水曜日は、旧約聖書のモーセの生涯から学びましょう。
今日は勤労感謝の日ですね。働けることは大きな喜びです。しかし、たとえ動けなくなっても、私たちの存在そのものに本当の価値があることに心を留めたいですね。
以前、モーセのお話しのときは、荒野を進む神の民イスラエルに、神が不思議な方法で水を与え、200万人を超える人々を潤したことを学びました。もう一つの大きな問題が彼らを襲います。それは食糧の問題でした。荒野での旅に食糧は大きな問題であり、人々は指導者モーセたちに不平を言いました。「エジプトではたとえ奴隷状態でもパンを食べていられたのに。荒野で飢え死にさせるつもりか。」との人々の痛烈な批判は、結果的には神への不満でした。
それに対して神は怒りを表しても当然の彼らを深く憐れみ、朝は天からパンを降らせるゆえ、それを毎日集め、安息日前には二倍集めることを命じ、さらに夕方には鳥のうずらを送り、彼らに肉をも与えることを約束したのです。それは不思議な神の奇跡でした。人々の不平や悲しみをすべて受け止め、憐れんでくださった神様は、彼らの必要を満たすために、愛の奇跡を行われたのです。
その目的についてモーセは民にこう語りました。「あなたがたは、夕方には、エジプトの地からあなたがたを導き出したのが主であったことを知り、朝には主の栄光を見る。主に対するあなたがたの不平を主が聞かれたからだ。」旧約聖書 出エジプト記16章6~7節。
神の約束のとおりに、夕方にはうずらが宿営をおおい、朝には宿営一面におりた露が、不思議な食べ物となったのです。彼らはそれを「マナ」と呼びました。「これは何だろう」という意味です。私たちの思いをはるかに超える方法で、神は彼らの必要を満たし、神に従うことの恵みと祝福を与えチャレンジしたのです。
荒野をとおるような人生の悲しみの中にあっても、神様がともにいてくださいます。私たちの不平や悲しみをもすべて受け止め、存在を愛してくださる神様の愛と恵みによって私たちは生きることができるのです。どんな中にあっても、愛なる神様に信頼して歩み続けていきたいと願います。愛なる神様はどんな中でも、あなたとともにいてくださるからです。

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