パウロの弁明5「宣教の心得」
- 出演者
- 板倉邦雄
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
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- アップロード日
- 2021.09.08
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] 使徒の働き 26章
- 放送日
- 2021.09.08
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。今日は、「パウロの弁明5『宣教の心得』」という題でお話ししましょう。
さて、パウロの弁明の最後になります。ここには、パウロの宣教の心得と実践が弁明されています。使徒の働き26章です。
「こういう次第ですから、私は天からの啓示にそむかず、まず初めにダマスコにいる人々に、それからエルサレムにいる人々、さらにユダヤ全土の人々、そして異邦人たちに、悔い改めて神に立ち帰り、悔改めにふさわしい行いをするように説き進めてきました。そのために、ユダヤ人たちは、神殿の境内にいる私を捕えて殺そうとしたのです。しかし、私は今日に至るまで神の加護を受けてまいりました。そして堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしてきました。預言者たちやモーセが、必ず起こると語ったこと以外には何一つ宣べてはいません。つまり私は、救世主キリストが苦難を受けること、また、死者の中から最初に復活して、このユダヤの国民にも異邦人にも、光であるイエス・キリストを宣べ伝えるに至ることを弁明してきたのです。」
ここに、パウロの宣教の内容と心得が弁明されているのではないでしょうか。まず宣教の順序は、自分が回心したシリアのダマスコから始めて、次に、エルサレム、ユダヤ全土、そして異邦の外国の人々にと進んでいきます。宣教の内容は、神に対する悔い改めと、悔い改めにふさわしい生活に立ち返ることでした。それは、パウロ自らの反省に基づいていたのです。神様のためにと信じて、キリスト信徒の迫害を実践してきたことが、実は神様への反逆であり、人々を苦しめる悪行であったからでした。そしてまた、自分自身をも傷つけ、破滅させる生活だったからです。
次に、パウロの宣教の心得は、どんな人に対しても旧約聖書が約束したことをのみを語るということでした。その約束とは、救世主キリストが苦難を受けることと、死人の中から最初に復活して、すべての人々の希望の光となるということでした。
私たちも、神様のご加護の中で、自分を含め、他の人々に対して、自分の罪と悪を悔い改め、待っている父なる神のもとに帰るように語り伝えてゆこうではありませんか。
さて、パウロの弁明の最後になります。ここには、パウロの宣教の心得と実践が弁明されています。使徒の働き26章です。
「こういう次第ですから、私は天からの啓示にそむかず、まず初めにダマスコにいる人々に、それからエルサレムにいる人々、さらにユダヤ全土の人々、そして異邦人たちに、悔い改めて神に立ち帰り、悔改めにふさわしい行いをするように説き進めてきました。そのために、ユダヤ人たちは、神殿の境内にいる私を捕えて殺そうとしたのです。しかし、私は今日に至るまで神の加護を受けてまいりました。そして堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしてきました。預言者たちやモーセが、必ず起こると語ったこと以外には何一つ宣べてはいません。つまり私は、救世主キリストが苦難を受けること、また、死者の中から最初に復活して、このユダヤの国民にも異邦人にも、光であるイエス・キリストを宣べ伝えるに至ることを弁明してきたのです。」
ここに、パウロの宣教の内容と心得が弁明されているのではないでしょうか。まず宣教の順序は、自分が回心したシリアのダマスコから始めて、次に、エルサレム、ユダヤ全土、そして異邦の外国の人々にと進んでいきます。宣教の内容は、神に対する悔い改めと、悔い改めにふさわしい生活に立ち返ることでした。それは、パウロ自らの反省に基づいていたのです。神様のためにと信じて、キリスト信徒の迫害を実践してきたことが、実は神様への反逆であり、人々を苦しめる悪行であったからでした。そしてまた、自分自身をも傷つけ、破滅させる生活だったからです。
次に、パウロの宣教の心得は、どんな人に対しても旧約聖書が約束したことをのみを語るということでした。その約束とは、救世主キリストが苦難を受けることと、死人の中から最初に復活して、すべての人々の希望の光となるということでした。
私たちも、神様のご加護の中で、自分を含め、他の人々に対して、自分の罪と悪を悔い改め、待っている父なる神のもとに帰るように語り伝えてゆこうではありませんか。
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