自由の女の子どもです

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.06.24
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ガラテヤ人への手紙 4章31節
放送日
2021.06.24

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、ガラテヤ人への手紙4章31節から、「自由の女の子どもです」と題して、メッセージを伝えいたします。
 「こういうわけで、兄弟たち、私たちは女奴隷の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
 パウロは3章の後半で、ユダヤ人が大事に守る、律法の意味について語りました。それは、人に何が良くて、何が悪いか、つまり逸脱を知らせる教育係りのようなものであったと。それは人が神の目に、いかにかなわない罪人であるかを告発して、人には、キリストにある罪の赦しが必要であることを示すのです。ですから、キリストが現れたなら、キリストを信じることこそ求められるわけですね。
 パウロはこの4章でさらに、その意味を深めて教えます。まずパウロは、後見人のたとえを使います。親が莫大な財産を残して死んだ場合、その子どもは、定められた年齢に達するまでは、後見人の保護の下にあります。しかし、その定められた期日が来ると、子どもは後見人から自由になって、親の財産を自分のものとするのです。
 同じように、神の定めの時が満ちて、キリストがこの世に来られたのなら、人は罪を告発する律法から自由にされるのです。今や律法の告発を恐れず、キリストの罪の赦しにあって、神の子どもとして、神の祝福を自由に自分のものとすることができるのですね。
 こうしてパウロは、何かを行うことによって神の祝福が得られると、脅迫的に考える過ちを正すために、さらにイスラエル人に馴染み深い人物の例えをあげます。神に、子孫繁栄を約束されていながら、なかなか子どもが与えられなかったアブラハムです。アブラハムは、神の祝福を得るために、自分の努力も必要と考えて、女奴隷のハガルに子どもを身ごもらせました。そうでなければ、約束を待っているうちに年をとりすぎて、子どもが生まれる可能性もなくなると思われたからです。ところが、約束の子イサクは、そんな人間的な努力とは全く別の方法、天からの恵みとして与えられました。救いも同じだといいます。神の救いは、ただ天から受ける恵みなのです。

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