死を超える希望

出演者
黒木昭江(富田キリスト教会、金山キリスト教会 牧師)
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2021.06.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] テモテへの手紙第二 4章6,7節
[新約聖書] ヨハネの福音書 11章25節
放送日
2021.06.19

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 「世の光」の時間です。今週は、名古屋にある金山キリスト教会と富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けしています。
 皆さんは、人生は死んだらもうおしまいだと思いますか?死とはどのようなものでしょうか。私が初めて死を意識したのは、小学校一年生の時でした。祖父が亡くなったのです。お葬式の後、火葬場へ行き、私もお骨を拾いました。衝撃的でした。自分もいつかは死ぬ。そう思い、怖かったのです。
 死を恐れた幼かった日から何年も経ち、今の私は当時よりも死に近づいています。でも、今ではもう死を恐れてはいません。なぜなら、聖書が、人は死んで終わりではない。復活して、神と共に生きるようになると伝えているからです。
 キリスト教の伝道者パウロが、死ぬ間際に書いた手紙が、聖書におさめられています。彼はこう書き記しました。「私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」
 死への恐れでもなく、人生が終わってしまうことへの嘆きでもなく、死の向こう側にある希望が、パウロの心の中いっぱいに広がっていました。義の栄冠と語られている神様に、「よくがんばって生きたね。」と言っていただく日が近づいていることを、パウロは喜んでいたのです。
 パウロのように、死の向こう側に希望を抱いて亡くなった方々を、私は教会で見てきました。昨年に天に召された70代の女性は、病にかかり、あっという間に悪くなりました。お見舞いにうかがうと、「先生、お葬式お願いね。」と言われ、確信に満ちたお声で、「早く天国へ行きたい!」とおっしゃいました。この希望は、キリストを信じるなら、誰にでも神様が授けてくださいます。
 主イエス・キリストのみことば「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」ヨハネの福音書11章25節

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