ルカの福音書-61 誰であっても神の中に

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2021.05.18
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.05.18

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今日の箇所、3章では、イエス・キリストに至るまでの系図が出てきます。
 私たちはよく考えやすいのです。どうして自分は、この家に生まれてきたんだろうかと。しかし、ルカがこの系図で語りたかったことは、イエス様をたどっていく時に、だれであっても、イエス様によって神の子の系譜につながることができるのだと言いたいのです。
 これまでのルカ福音書で、イエス様が洗礼を受けられた時に、天から鳴り響いた神の言葉、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」という声は、私たちが洗礼を受けた時にも鳴り響くのだということを語りました。
 そして今イエス様を信じる私たちもまた、父なる神様から、「わが子よ」と神の家族に入れられたのです。神の子の家族のつながりの中に生きることとなったのです。イエス様から新しい家族が生まれました。イエス様は結婚をされずに子どもも生まれませんでした。しかしイエス様を信じ、イエス様に連なる私たちは、同じように父なる神を出発点として、罪深い私たちに、キリストの家に連なる新しい家族の家系図が生まれたのです。
 今はもう、私たちは自分の家系図、家に苦しめられなくてもよいのです。いろんな血筋、いろんな親、本当は縁を切ってしまいたい親戚もあるでしょう。私たちは実のところ、私たちを苦しめるいろんな系図の制約を受けています。また、自分からつながる自分の子どもたちもまたそうです。「勉強がんばりなさい」と言ったところで、夫婦して数学のできない私たちの子どもは、やはり数学が苦手です。「あの親父の子どもだからな」と言われると返答しようがなくなります。
 あるいは、「あの家の子だからな」という言葉が、どれだけ人を傷つけることがあるでしょうか。しかし、私たちがどんな家に生まれようが、どんな血が流れていようが、私たちが、その血をたどったところにおられるのはイエス様であって、アダムであって、そのアダムは神の子であるという事実です。
 私たちの血筋を神に至るのだと、ルカは語りたかったのです。何よりイエス様を信じ、イエス・キリストから流れる系譜の中を生きるようになったならば、家柄でいがみあったり、家柄で誇り、さげすむような生き方からは解き放たれていくこととなるのです。神を信じるのであれば、今日あなたは、神の家族として、あなたを縛るものから自由になるのです。

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