ルカの福音書-60 名も無き人の中から

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2021.05.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.05.17

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
 今週の箇所、3章では、イエス・キリストからさかのぼって、創世記に記されている最初の人、アダムに至るまでの系図が出てきます。私たちが初めて新約聖書を読もうとした時に、最初に私たちの前に立ちふさがるのが、マタイ福音書の系図でしょう。聖書を読んでみようとして、系図がいきなり出てきて、もう気が滅入ってきます。この後、面白いことが書いてある気がまったくしません。何のために系図があるのでしょうか。
 ルカ福音書には、有名なダビデ王という人が出てきますし、他にも旧約聖書によく出てくるヤコブ、イサク、アブラハム、そしてノアもまた出てきます。しかしここで気づくのは、ほとんどの人は有名人ではないということです。
 ルカが、ルカ福音書の系図で明らかにしようとしているのは、イエス様が生まれるのにあたって、多くの無名な人の織りなす系譜の中に、キリストが生まれられたということです。歴史の中に忘れられているような、だれも思い起こさない人の名前をたどりながら、アダムとイエス様をつなぐことを、ルカは目的にして記しているのです。
 しかし、人間の系図を作る時は違います。実は昔は貴族の家の出身であったとか、武士の家の出であることを誇ろうとします。江戸幕府が作った士農工商という差別構造は、まさにそのような人間のプライドを利用した統治のための差別構造でした。
 自分のアイデンティティーの置き場を、自分の血筋に置こうとする人間の弱さです。しかし、先祖のそれらを誇ったところで、今の自分に何にもならないことを、私たちは知っています。親がいくらお金を持っていたところで、それは親のお金です。自分の実力などではない。ルカの系図は、あなたのアイデンティティーの置き場所を間違えてはならないと語るのです。
 むしろ、名も無き人々の中にあって、神はその一人ひとりの人生を尊ばれておられる。王もいれば預言者もいる。一方、マタイの系図には女性も出てきますし、異邦人も出てきます。さまざまな人々の歴史のただ中で、神が人となられたことを明らかにするのです。
 今日、あなたが自分のアイデンティティーを置いているところはどこでしょうか。あなたには血筋ではなく、誇ることのできることがあるのです。それは神に愛され、神につながっていることです。この系図から一週間、共に学んでいきましょう。

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